思考する癖


人間が他の生物と決定的に異なる点は高いレベルで思考することができることだろう。


ある事象について観察し、言語や数式を使い分析し、結論を出すという行為が人間という生きものを特別なものにしているはずだ。


そんな人間らしい「思考」という行為はとてもエネルギーを使う。

長時間の思考活動後に食欲が出たり眠くなったりするように、脳みそを働かせて考え続けることは肉体的にも、そして時には精神的にも消耗する。


そうであるが故に、人は意識していないと、あるいはその癖をつけていないと思考という行為をサボる傾向にあると思う。


思考をやめ感覚や感情で判断したり、何かを行ったりすることがあるだろう。


例えば、何かのニュース、個人のツイートでさえもそれらに対するコメント欄やリプ欄で見当違いなことを主張している人は多い。


自分が見たもの、読んだものを咀嚼し、思考し、解釈するという過程をすっ飛ばし、第一印象や、自分がこうあるべきと感じているそのなにかを信じて疑わず、それをアウトプットしてしまうことによるものだろう。


特にTwitterなどのSNSではもはやタイムラインを眺めるというのは日常のルーティンになっていることが多く、不特定多数のフォロワーを抱えたりしていないような知り合いのみで構成されているアカウントや匿名アカウントであれば、特に意識しないでツイートしたり反応したりするのは当たり前なのかもしれない。


他にもわからない問題に直面した際に、考える前に解答に手を伸ばしたり、他の人に聞いたりするなどといったこともある。

宿題を終わらせるのに答えを写すなんていう小学校の時の習慣が癖付いてしまっているのだろうか。わからないが。


わからないという心地よくない状態にストレスを感じ思考という過程を放棄してしまう。そこで簡単に答えを得てしまえばその後思考するという行為はめんどくさいものになりますますやらなくなる。

そうやって思考という行為が習慣化されず、思考しないという負のスパイラルに陥る。


僕は思考しない人間が嫌いだし、さらにろくに思考もせず見当違いなことをしたり、他人に思考させたりする人間はもっと嫌いだ。


海外の大学で授業に出ているとこれについて感じるものがある。


よく日本人は積極的に発言しない、海外ではすぐ質問したり自分の意見を言う、と言うようなことを聞く。

まるで海外のほうが素晴らしいかのように。

正直僕はそれに対して懐疑的だ。

確かに積極的に発言する人は多いように感じるが、その内容は本当に考えた結果のものなのか怪しいものがとても多いし、なんなら質問に関してはどうでもいいものや説明されてることについてのものが本当に多い。


見ているとうんざりする。




「頭が悪い」というのは勉強ができない、知識がないというよりは「考えることができない」ということだと思う。



直感で物事に対してある答えを出す能力はじっくりと思考する癖をつけ訓練した人が経験として得られるものだと思う。

そうであるが故にそれをサボる人は一生ズレたことを言っているのではないかと思う。


自分がそうならないように気をつけたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?