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自分の「世界」の広さと偏り


今、世の中には様々なコンテンツが溢れかえっている。


分からないこと、知りたいことがあればインターネットを使っていつでも調べることができるし、SNS等を使えばリアルタイムで様々な情報に触れられる。


漫画、映画、ドラマはスマホで読んだり観たりすることができるし、YouTubeでは様々なジャンルの動画をみることができる。


もちろん友達とは頻繁にコミュニケーションが取れるし、会ったことがない人とも繋がりを持てる時代でもある。



そんな中で、それを十分に活用せず、限られた情報やコンテンツにしか触れない人がいる。


言い換えるなら、自分の「世界」が狭い人のことだ。



あえて断言したいのだが、僕はこれはあまり良いことだとは思えない。



結局、閉鎖的な環境(みたいものだけをみて、そうでないものは排除する)を作り出してしまうと、少なからず偏ってしまう。




例としてニュースはとてもわかりやすい。


テレビしか観ない、新聞紙しか読まない、Twitterの第三者のツイートでしか確認しない、動画しか観ない、の様にメディアを固定してしまうケース。

あるいは考え方が似ている人しかフォローしないなど自分の心地の良い情報しか受け取らないケース。



自分は中立を保ってると思っていても、そう言う環境に身を置くと知らぬ間に偏りが生じると思う。

僕はニュースや様々なジャンルの情報を得るためだけのTwitterのアカウントを持っているけれど、そこではあらゆる人(もちろん自分と考え方が違う人も)や組織をフォローしている。



流れてきた情報はソースを確認して、深く知りたいと思ったら、別の場所ではどのように発信されているのかも確認するようにしている。


日本語だけではなく、英語のニュース(主にオーストラリアだけれども)も流れてくるようにしている。


とは言っても、興味のない情報が流れてくることがある。

その時に無視して、後になって実はそれが盛り上がっていて知らずに結局調べ直すなんてこともよくある。



つまり、そうやって環境を整えたとしても、人間は知らぬ間に取捨選択をしているのだから、そうでないならなおさらそうだと思う。




そもそもニュースを見ない人がいるけれども、この話をするうえで、これははっきり言って論外だと思う(あえて断言する)。

直接自分に関係ないことかもしれないし、興味がないことかもしれない。



ただ、周り回って自分に返ってくることなんて山ほどあるし、自分たちが生きている社会のことを知らないで生活したり、仕事をしたりするのは正直怖い。



ニュースに関わらず、直接は関係なさそうに見えることも実はそうでなかったりすることは多い。

閉鎖的な環境にいるとそういったことを想像する力も劣化してくると思う。


僕も知識がある方ではないが、自分なりに頭で考えるようにはしている。




ニュースに限った話ではない。


本は読まない、動画だけ。その逆。興味のないコンテンツは全部スルー。

もちろんインターネット、SNSの使い方は自由だ。好きなものだけをみる、それも自由だとは思う。



ただ、僕は、幅広い会話ができない人やいくら何でも知識が欠落している人と話すのは正直疲れる。

何かについて聞いたり、話す機会ができても、「知らない」「興味ない」の一点張りだとそこで会話が終わる。

守備範囲が広い人との会話はとても楽しい。



僕は自分の興味がないことでもまずはどんなものかを必ず知ろうとする。自分の知らなかった世界について話してくれる人や新しい知識をくれる人とは、たとえ興味があまりないようだったとしても「世界」を広げることになると思うし、もしかしたら興味がわくかもしれない。



ただ、もちろんそれでも自分に刺さらないものがあると思う。(僕の場合はアニメがそうだった。)でも別にそれがつまらないとは思わない、実際それにのめりこむ人がいる。

新しい世界を知れたことはプラスになっていると思う。



「世界」を狭めることの弊害は偏ることだけではないと最近感じるようになった。



言葉遣いだ。



偏りが生まれたり、狭い世界で生きていると、過激になったり、他者への理解力が欠落していくと思う。

そうなるとそれは言葉にあらわれるようになると思う。



汚い言葉遣い語彙力の欠如


暴言、過激な物言いをする人や他人への理解力や想像力のなさから簡単にデリカシーのないことをいう人もいる。

自分の世界から外れる人やものに対して過剰なまでに言い切る人が多すぎる。



他にもネット文化に染まりすぎて、日常生活でもネットスラングを頻繁に使う人がいる。正直言って痛い。



こういうのは結構自分の「世界」の狭さからくるのではと最近感じている。


普段自分のいる「世界」での常識だったり習慣を違う「世界」でも持ち出してしまう。




僕はそういう人といるとストレスを感じるし、心が荒んでいくようにも感じる。



いろいろな「世界」を知ろうとすること、理解できなくても認めること、否定しないこと、自分の「世界」の常識で見ないこと。

そして言葉遣いに気をつけること。



これがすごい大事だと思う。



そして、自分はそうじゃない、完璧だと思い込むことこそ偏っているし、自分の「世界」が絶対だと思い込んでいる何よりの証拠な気がする。

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