サクラと電車

日本人として生きるために(分かりやすい儒学講座)その⑥「差別意識」

 


孔子とイエスの共通点

民族、宗教、容姿、貧富など数多くの「差別」は、人類の歴史の中で後を絶ちません。これは、人間が太古から持ちつづけてきた負の感情です。イエス・キリストは、同胞であるはずのユダヤ人に差別され、妬まれ、最後は濡れ衣を着せられ十字架にかけられます。そのユダヤの国もイエスの死の約七十年後に国の形を無くしてしまいます。それからユダヤ人は長い間世界中を放浪することになりますが、その後のユダヤ人がたどった歴史は、キリスト教徒から差別を受け続ける歴史となります。ローマ皇帝は、国情の安定のために国内に敵役を作る必要がありました。民衆の怒りや憤りが為政者側に向かないようにするために、スケープゴートにされたのがキリスト教徒でした。意図的に不気味な宗教だと吹聴して異端者扱い、つまり差別され迫害されます。

孔子も、その生い立ちや境遇から差別され続けた人なのです。儒というのは、冠婚葬祭、特に葬祭儀礼を中心に行った集団で、孔子はその中でも貧賎の家庭に生まれ育ってきました。後世に伝わる聖人・孔子像は、司馬遷の「史記」であまりにも脚色され、神格化されて一人歩きしていきます。孔子の出生も分からないところが多く、父親は歴戦の英雄・叔梁紇(しゅくりょうこつ)ではなく、父親不明で儒という集団の中の巫女の庶子とも言われています。

三大聖人の中で、釈迦だけが王族出身で若い頃、比較的裕福な家庭で育ちましたが、孔子とイエスの生い立ちには、若い頃社会的に恵まれなかったという共通点を見いだせます。

 孔子は四十歳まで仕官しようとしてもなかなかできず、ありとあらゆる仕事をしてきました。これは今流の言葉で言うと定職につけず、何度も職変えをしてきた人生であったということです。当時の学びは現代と違い「學んでときに習う」(学而)というように彼の学びは、実修を必要とするもので、ほとんどが独学で習得したものです。孔子の生き方がそうであるように、偉大な思想は、強烈な人生体験と実修を伴うもので、それが若い頃に築き上げられたものであるならば富貴の身分ではなく、むしろ貧賎の身分から生まれているものなのです。「四十にして惑わず」の言葉通り、孔子の立場がしっかりし始めた四十歳頃から弟子が徐々に増え始め、最終的には三千人にもなったといいます。弟子の筆頭に子路と顔回がいます。「吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」は、まさに孔子の人生そのものを表すものなのです。今で言う儒教が学問として形成されたのは、孔子の死後のことです。晩年の弟子・曾子は孔子の孫・子思を教育しました。曾子は「大学」、子思は儒教の本質である「中庸」を編纂します。子思の弟子筋にあたる孟子の後世の言行録が「孟子」です。

 この後、秦の始皇帝が「焚書坑儒」で思想を弾圧したと伝えられますが、これは一面的見方で事実、当時学者が乱立して思想が混乱し、多くの民衆が惑わされてしまっていたために、世の中に乱立している書を焼き、国家を窮地に陥れる不埒な学説を唱える者を処罰したのでした。その結果、思想が整理され国家が安定していきます。このような中で儒教はその後もしばらくは鳴かず飛ばずの時代が続きますが、漢の時代に国教化されることになります。

 

人間の本質は「善」か「悪」か

話を「差別」に戻します。なぜ、こうした感情が生まれるのかを考えると、自他を比較して自己の優位性を保ちたい為に他人を批判する。自己に向き合うべきなのに向き合うことのできない人間の弱さ、人間の心の働きでも知性に偏重しやすい感情から来ているのではないかと思います。

我々はよく人を批判します。批判は自分と他人を区別することから始まりますが、他人を媒介として自己を表現する行為とも言えます。しかし、ここで最初から明らかに自己と他人が違う場合には批判という行為は生まれてきません。批判は、少なからず自己と他人が同じ土俵で、自他を区別するところから生じるのです。これは他人を媒介としなければ、自己と他人との違いを明確にすることができませんし、これは真の自己を見出していく為に必要な行為なのです。ですから過去の偉大な思想家は、他からの批判を全面的に受け入れるがゆえに常に批判の対象となりました。しかし私たちは誰しも他からの批判を恐れます。それは他から批判、否定されることは、自分にとっては孤独を作り出し、ある意味“死”を意味するのです。そこには自分という存在が否定され、死というものに直面した自分は、生という立場を確保しようと自己批判(内に向かう)をするよりも他者批判(外に向かう)をし、自己の優位性を保とうとするのです。ですから「差別」という問題は反面、同じ土俵にあって自己に向き合うことのできない人間自身の持つ弱さが、潜んでいるように思われます。例えば、アメリカには多くの有色人種が住んでいますが、差別は無くなっていないのが実情です。特に黒人の高い身体能力、黄色人種の勤勉さに歴史において白人が恐怖心を抱いてたからなのでしょう。更にキリスト教世界の中にあって、長い歴史の中で政治的に利用されてきた「選民思想」というものは自ずと、選民と非選民というように、キリスト教・白人社会の優位性を保つための温床になってきたと思われます。自分が常に優位にあるという心の安定を保つために、誰かを自分より劣った存在であると見ていく意識は、人が陥りやすく、そこに差別意識が生み出されやすいのです。人間はどこまでも自己中心的な生き物なのかもしれません。そういう意味では、そのような人間の一面を捉えて荀子が「性悪説」を唱えたのは当然のことでしょう。人間の本質は元々「悪」だからこそ、道徳で律するべきという主張なのです。それに対して孟子は「性善説」を唱え、本来人間の本質は「善」であると主張しました。

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