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感性なるものの共鳴を求めて

はい、ながーい序章を終え、二回も、保存し忘れて、ヘロヘロになって書いてます。梟です。今回は前に書いたように、ネビラキ主催のまちづくりに関しての話し合いから、出たやってみたいことをつらつらと書き綴っていきたいと思います。私は大前提としては町の内部が、豊かでないと、この町自体にいくら素晴らしい「本物」があってもそれらは鈍色のままで、その魅力にほとんどの人が気付かないと思います。では何をするべきか。手順としては下記のように考えています。

一つ、町の人がこの町の色んなところをそれぞれの感性でカッコいい、美しい、なんかいいって見てくれて、好きになってくれる。
二つ、好きなところを周りとシェアしたり、議論したり、討論したりする。また、その自分の好きなこの町を自分で、自分自身の感性(集落ごとなど集団でも)で、ブラッシュアップする。
三つ、この町の人が自分と自分の作ったある種の作品と、それがある西和賀に対しての誇りを持つ。そして、さらにそれらが好きになる。

はい、こんな手順でやっと準備段階が終わりました。ひとまず上記のそれぞれに対応する方法をつらつらと書いていきます。

一つ、ここはずっと継続して、やっていかなくてはいけないと思います。私自身の取り組みとしてはこのブログで、定期的に自分のイチオシの風景、文化など、いろいろ紹介したいと思います。その名も「心象スケッチ」!!!宮沢賢治の春と修羅から、持ってきました。
また、全体としてはどうも統率してやれることは少ないのかなって思います。例えばパンフレットに、するのも違うと思うし、探してもらうのも違うと思う。一つできるのが、町の外からの観光客に教えてもらったり、移住者の人に面白がってもらえたり位なのかなって思います。基本的には自分達でふっと立ち止まって星空を眺め始めたり、「いつもあそこ目につくけど行ったことないな、行ってみるか」みたいに短絡的に考えてみるのが大切なのかなって思います。あと、もっと手軽に写真をパシャパシャとってみることも大切かと思います。自分でとった写真にはやっぱり、手軽だとしても愛着がありますからね。まぁ、一番言いたいことは、町の人が気付いて町の人に伝えることが大切。そうでなければ他人事になってしまいます。
二つ、自分の好きな西和賀のシェアは、これも普段の何気無い余裕がとても大切なのだと思います。というかロマンチストに一度なったり、なりきったりしてください。例えば朝起きて、通勤したり、通学したりで歩くときにほんのちょっと景色に目をやってみると、カメラを取り出したくなるような景色がたまにあります。あとは帰り道、星空を見上げてみてください、結構綺麗ですよ。あと月も。そういう写真だったり、そこで思いついた言葉だったりをぜひ、周りの人に面白がって伝えてみてください。理解されなかったとしても自分だけの宝物として自慢してみてください。こういう普段の会話から、熱が発生し始めると思います。
ブラッシュアップは自分のお気に入りのポイントや、文化を自分風にアレンジしてみてください。イチオシの場所だったら段ボールに防水加工して、み観るのに一番いい気候だったり、時間、こだわりを書いていたものを吊るしておいたり。あとは、自分の家とかをかっこよくペイントしたりして、自分でおすすめポイントを作るのもいいですね。できる人はその空間を自分なりに演出したりして、、、
三つ、そうやって自分の作品のようになった、場所は好きになります。そして、周りもこんな風になっていたら、この町の人はみんな、この町に対しての素直な愛着がある状態です。自分も誇りとか、ポジティブな感情がそんな町に対しては沸いてきませんか?皆の心が満足感があったり、そこからさらに磨き始めたりで、とっても豊かな町なのかなぁって思います。

かなり、大雑把に書きました。上に書いてあることをするためには一項目だけでもかなりの装置が必要になると思います。また、最後に野望としてはこれらの行動を経て町の人が誇りを町に持っている状態で、町の人と外の人とが共同で、廃坑アートだったり、ダム底を使って文化活動をやりたいなーって思ってます。あとは空き家アート。アートって言ってますが、何も芸術に限らず、学問や、食等も入れたいと思っています。
具体的にはどうするのかというと使われなくなった鉱山の廃坑を使いそこに画廊を開いたり、音楽を演奏したり、演劇やったり、数式や哲学の証明を書いたり、お茶会をしたり、です。もっと廃坑であることを活かしたいですが今は思いつきません。ダムの底でやることも含めて、これらには意味合いがあります。鉱山は底でやることに資本主義的意味合いがなくなったから閉山された。ダムは都会からの圧力やこれもまた資本主義的な利益のためにその街を沈めた。これらに共通することはどちらも資本主義によって人の生活が大きく変化した。それもなくなる方へ。こんな風な歴史を持つ岩手県で一番早くなくなると言われてる西和賀町の町民がこの町に文化的な誇りを持ってポスト資本主義のこの時代に資本主義によってなくなった場所に再び文化的な意味合いを見つけることはとても大きなことであると思います。歴史へのひとまずのピリオドを打つ。ロマンじゃないでしょうか。また、外の人とやることで自分達のこの町に対する価値観が刺激されて町の人たちもまた見直すようになるかもしれません。移住面で見ても町の人が余裕をもって暮らして、暇があれば議論したり、つくったりして、楽しそうにシェアしてくれる町は素敵なものに写るはずです。お金じゃなく、補助じゃなく、町の魅力、人の魅力でのまちづくりです。

わたしはもう一つ暮らし方の改善案も発表したいのですがいささか長すぎるのでつぎにまわします!!!あと心象スケッチも始めるのでぜひ、見てってください!!

では試しに一頁目!!!

はい、私のおすすめとしては電柱の唯物的な存在感と後ろの木の生々しさが一緒にみれるところです。時間は昼の二時半くらいかな。よくよく見ると後ろの雲はまさに絵みたいな色ですね。なんだかメルヘンです。木は何かを求めるように枝を必死に上にあげてる。飢えてるみたいですね。生きてるってかんじてます。さっき言った生々しさってこれです。また、上に張ってある電線はさらに唯物的な雰囲気を出しています。木は電線に縛られてるのでしょうか。あとは金属の金網の柵でもそう見えちゃいますね。結界!みたいな。奥は日の光が雲のブラインドから、溢れて見えますがここは青白く日はあまり照らされてません。唯物的なものに囲まれ、周りは青白く、しかしながら木だけは狂おしいほどに生きている。そのギャップが好きですね。でも電柱の周りの雪も溶け始めている。木と同じように。それだけ見ると二つは大差なく等しくこの星の砂塵とみれるのかもしれません。 え、ながいって?あ、はーい、、、ではお開きにします!ではでは!

補足ですが写真は西和賀高校前のバス停の写真です。

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