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いつかまた戻りたい、シリア。

2019年9月 オーストリア・ウィーン


秋晴れの空の下、僕はウィーンの空港に降り立ちました。EU内のブルガリア経由だったため、入国審査もなくスムーズに入国。市内へ向かうため、僕はスマホを操作しUberを呼びました。

5分もしないうちにドライバーと合流。僕とバックパックを積んだ車は、市内へと走り出しました。

ハイウェイを走る車。助手席に座った僕。運転手の名はバゼル(仮名)、30歳の独身男性だそうです。ラジオの音楽に合わせて体を揺らしている陽気な彼に、僕も自分の名前と日本から来たことを伝えると、

「アイ、ラ〜ブ、ジャ〜パ〜ン♪アイ、ラ〜ブ、ジャ〜パ〜ン♪」

よほど日本のことが好きだったらしく、即興で歌まで作って、歌い始めました。とにかく元気で明るい運転手でした。

▼Uberの車内

道も混雑しておらず、車は市内を目指して快調に進んで行きます。彼はまだ歌っていますが、時折、手元に固定したナビに目をやっています。オーストリアのスマホのナビはどんな風に表示されているのか気になったので、スマホに目をやると、使っていたのは、世界の定番・Google Map。しかし、そこには一つだけ、予想外のことがありました。

それは、表記がなんとアラビア語。地名やルート案内などがアラビア語で書かれています。気になったので、彼に尋ねてみました。

「ねぇ、君はアラビア語が話せるの?」

「そうだよ。僕はシリア出身なんだ。シリアは知ってる?」

「もちろん。じゃあ、最近オーストリアに来たの?」

「2年前に、シリアから逃げてきたんだ」

と英語で話してくれた彼は、内戦が続く中東・シリアからの移民だったのです。デリケートな問題だと思った僕は、とっさに話題を変えようとしましたが、陽気に話し続ける彼。そのまま彼は、自身がシリアからオーストリアまでたどり着いた経緯を話し始めました。


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今から2年前。

バゼルは、混乱が続くシリアを抜け出して、安全なヨーロッパへ向かうため、シリアからボートでギリシャを目指しました。

安全とは決して言えないボートに乗って、数日間かけてなんとかギリシャに到着。しかし、ギリシャでは安全で安定した暮らしは望めないと思い、歩いて北を目指しました。

本当に大変だったのは、そこからの道のり。

もちろん彼は難民となるため、難民を受け入れてくれる国以外で警察に見つかると、シリアに強制送還される恐れがあります。また、マフィアなどに捕まったら、最後。捕まった人達が、その後どうなったかを知る者は誰もいません。そんな危険な旅なのに、難民が故に公共交通機関も使えないため、ギリシャから徒歩で北を目指すしか無いのです。

そんな彼が目指した国が、難民を受け入れてくれて、安心安全な暮らしができると言われているオーストリア。ギリシャからオーストリアは、通常の車のルートだと、およそ1,700kmの道のり。しかし、彼は身の安全を最優先にし、幹線道路を避けたり、時には山の中を歩いたりしたので、どれだけ歩けば無事オーストリアにたどり着くのか、皆目見当もつかなかったと言います。

明日捕まるかもしれない。そんな恐怖と常に戦いながら、とにかくこの道の先に楽園が待っていると信じて、来る日も来る日も、雨の日も風の日も、ひたすらに歩き続けました。

その終わりが見えない旅路の中でも、特に壮絶な日々を過ごしたのが、ギリシャの隣国・北マケドニアと、そのさらに隣国のセルビア。この2か国は、マフィアが見張っている場所が多く、捕まったら一巻の終わり。だから、眠るときさえも気を抜くことができません。ろくに食べる物もないまま歩き続けました。

いくつもの危険や困難、そして嵐をも乗り越え、気がつけば歩き続けること2か月。ようやく安心安全の地である、彼らにとっての楽園・オーストリアにたどり着きました……。

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それから2年もの月日が流れ、今、彼は本当に平和で幸せに暮らせているそうです。仕事はUberのドライバーで、月収はなんと1500ユーロ(約18万円)。オーストリアに来た時はアラビア語しか話せませんでしたが、今ではドイツ語も英語も話せます。

「どう?僕の英語、上手でしょ?」

笑顔で話しかけてくる彼。僕からすると、触れてはいけないような話題の気もするけれど、彼は終始笑顔で話し続けていました。

だけど、彼がこの話題の最後に話した言葉が、今も僕の頭から離れません。

「僕の家族は今もまだシリアにいます。家族のことは一度も忘れたことはありません。そしていつかまた、必ずシリアに戻りたい。」


▼僕を下ろした彼は、また次のお客さんのもとへと走り去っていった。


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