「涼宮ハルヒの憂鬱」を一気見して見えたモノ
どうも。奢侈(しゃし)です。
今回は作品の内容についての記述が多くなりますので、「まだ見てない!」という方は是非先にアニメの方をご視聴下さい。
コロナによって絶賛自宅待機中であったものの一応大学生の冠を被ろうとしていた3/31に僕はこの作品を見終えた。
丁度”受験勉強”という強大な敵を倒した僕は就活という次の強敵へ向けての準備を行っていた。
TOEICの高スコアを取得したり、簿記や宅建などの資格、インターンや就きたい職種に必要なスキルなど、受験とは比べ物にならないほどの準備の多さに辟易していた。
こうもタスクがぎっちり詰まっていては、楽をしたくなるのが人間。
「起業をしてやる!」とか「学歴フィルターなんか蹴散らしてやる!」と息巻いていた自分はいつしか、安泰を求める人間へと変貌を遂げていた。
そこで、「涼宮ハルヒの憂鬱」と出逢う。
最初は懐かしさからふと再生ボタンを押して、ただ無心でコメントが流れる映像を眺めていただけだった僕が、最終的には少しだけ前向きになれたその理由を、簡単にまとめます。
涼宮ハルヒの憂鬱が気づかせてくれたもの
”何も起こらない人生ほどつまらないものってない”
これが結論。僕がこの作品から得られたもの。
この作品では、毎話かなりのスケールの出来事が必ず起きている。しかも涼宮ハルヒの望みなので超常現象ばかり。都合のいい展開の不可解さをこういう風に昇華できた作品としても非常に面白い。
この作品は涼宮ハルヒが中心で回っている。涼宮ハルヒがこうあってほしいと願えばそれが叶う世界。
こんな超人涼宮ハルヒと僕の共通点は、願わなければ叶わないこと。
彼女は決してやることに対して妥協を許さない。彼女はあの能力を持っていることを知らないが、それでもこうあってほしいと願ったモノに関してはそうなるように全力で行動していた。普段の生活から見て、他人に全任せしそうな企画とかちゃんと家で考えてきたり、クリスマスの準備の材料も持ってきていた。例外はいくつかあるが、そこは目を瞑ってほしい。
能力を持っていない人間が絶対やらなくてはいけないことを、持っている彼女は抜け目無くやっていたのだ。
何か起こることを期待して生きていくなら、何か行動を起こさなきゃいけない。しかも全力で。
こんなにも面倒くさいことは無いけど、楽しい人生を送るためには他にどうしようもないので、ちょっと頑張ろうかな。
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