suga_3

すみません。11月は返事する暇なく終わってしまいました。
振り返ると11月の頭に祖母が逝去し北海道に帰ったり、自分の展示が始まったり、それからはずっと他人の展示を設営していたら12月もあと少しになっていたので何が何やら。前の投稿に対する返事がメモに残っていたので、そのまま貼り付けます。

「純粋な共同体」が相互連関的な秩序の妨げをしているというのはすごくおもしろいですね。グローバリゼーションという大きな同一化の運動の中で生活をしてきて、想像以上の多様性に出会った人類がそれに耐えきれなくなって、純粋性を求めていることについての話だと解釈しました。ところで、僕は多様性という言葉はあまり好きでなく、複雑性という言葉を使うようにしています。多様性について語られる中で描かれていくユートピア的な世界観は虚構で、多様性を認めた先に訪れるのは豊かで不愉快な世界だと僕は考えています。受け入れ難いほど異なる他者を認めることに痛みは伴うけれど、そこには豊かさがあるという複雑な世界を見据える必要性を感じています。


このメモを残した時の気持ちとの温度差も多少ありますが、「豊かで不愉快な世界」という世界観はこの先5年間は変わらず、自分の中で残っていくものだと思っています。


10月の終わりに「異端の鳥」という映画を見ました。この映画は第二次世界大戦中、ホロコーストを逃れて疎開した1人の少年の物語です。家を失い、行く先々で差別・迫害・暴力を受けながら残酷な世界を生きていく姿が描かれています。少し時間を置いて振り返ると、少年が受けた様々な暴力は目を背けたくなるようなものばかりでしたが、その内容は現代にも変わらず受け継がれており、自分や家族、恋人、友人、隣の家の人、同僚が知ってか知らずかやってしまっているものとなんら変わりないことに気づいてしまいました。ああなんてことだ。僕らはそういった暴力を奮っていることを反省しなければいけない。しかし、自分や身の周りの人の暴力を容認するつもりは全くありませんが、全く暴力のないコミュニティで生きることもまた不可能であることを理解しなければ、本当の意味で反省することもできない気がします。そこにある不愉快さが豊かさに繋がるかどうか僕には言う資格はありませんが、そういった隠したいもの、隠してきたものを見えないままにして生きていくことが私たちにとって全く良い作用を及ぼさないことだけははっきりわかります。

ここまですごい暗い世界観を語ってきましたが、それとは裏腹に希望に満ちた気持ちでいます。それはこれから迎える夜が、とても怖いものだと思っていたけれど、案外そうでもないのかもしれないと思えたからです。

大野くんの展示も始まりましたね。(もう終わったのか?)その話ぜひ聞かせてください。

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