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ありふれた姓の、ありふれない君

本日、3月10日。310で佐藤の日です。
別に誕生日でも記念日でも何でもない語呂合わせ。平和だなあ。
同じように5月10日は後藤さんの日なのだろうか。

流司さんが以前言っていた。佐藤という姓で良かったことは、ありふれた姓だから下の名前を覚えてもらいやすいことだと。
確かに。相手に名前と顔を覚えてもらうことは、どの仕事をするにも最初の一歩ですからね。

名前って不思議だなあと思う。自分の名前は自分で選べないのに、人はその名の通りに生きようとする。
親が考える名はさておき、姓は選びようがない。産まれる遥か前から続いている。まあ、様々な事情により途中で変わる場合もあるけれど。

ありふれた佐藤という姓に、流れを司るという名が際立つ。
「流」は人名にあまり使われない印象だけど「司」を付けることで、とどまることなく移り変わる世の先に立って導くという意味を持たせることができる。ご両親が自信を持って命名されたであろう名を受け入れて歩む流司さん。由来をそのままブログのタイトルに使ってたり、「名前を覚えてもらいやすい」と何のためらいもなく話す姿から、なんとなくご両親との信頼関係のようなものを感じる。素敵な親子関係だなと思う。

P.S.ブログがオフィシャルになりました!みなさんありがとうございます!ちなみにタイトルの意味はそのままオレの名前の由来です。かっこいいでしょ。

余談ですが、私の本名はちょっと珍しい姓です。常用漢字じゃないからよく文字化けする。名の方は可もなく不可もない名だけど、由来の通りに生きるのはなかなか難しくて、でも出来るだけ外れないように生きようと思っている。という話を同僚にしたら「私は由来とかなくて響きだけで命名されたから、そういうの羨ましくて、自分の子供には絶対に意味のある名前付けてあげたいんだよね」と言って彼女は産休に入り、その後退職した。
キラキラネームの子供が「名前は脱げないお洋服」と言っていた。ありふれた姓の家に産まれるか、個性的な名を与えられるか。産まれる側からすれば、命名って結構ガチャだ。

私たちは皆、自分で選べなかった名前に従って生きるしかない。
自分の名前に納得していようといまいと、願いを込めて与えられた名の通りに生きようとする人って、どれだけいるんだろう。

たとえ偶然のめぐり合わせだとしても、佐藤流司という名前を与えられた人が人前に立つ仕事を選んだことは、運命としか思えないな。


画像は、2021年になろうとも机に飾っているカレンダーです。お気に入りです。