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羽生結弦展 共に、前へ

『羽生結弦展 共に、前へ』東京会場に行ってきました。

会場内は入口以外撮影禁止だったので、書き記しておこうかと。ちょうど10年が経とうとしてるし……

結弦さんは3月11日に仙台で震災に遭いました。(よく「仙台で震災を経験し~」と記載されますけど、「経験した」より「遭った」のほうが近いと個人的に思います)また、震災翌年から毎年、石巻の被災地や中学校、原発事故で避難した人たちが暮らす仮設住宅(のちに避難指示が解除されて町に戻った人々と再会もしましたね)などを訪ねていて、毎年その様子が日テレの24HTVやeveryで放送されます。それらの記録が展示されていました。
衣装展示こそありましたが小規模で、オリンピック後に華々しく開催された羽生結弦展と、今回の羽生結弦展は趣旨が違うことがわかります。

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まず、震災の概要、被害の規模、2020年現在の行方不明者数の解説。震災直後の仙台の街を捉えた写真もありました。傷が癒えてない人にはヘビーかもしれません。そして、羽生家があの日から数日過ごした避難所の様子。避難所で寄り添って眠る人々の写真。一家が与えられた2畳足らずのスペースが再現されていました。自分の身近なもので例えると、浴室の洗い場くらいの面積かな。この空間に家族4人。停電で夜は明かりもなく、星がよく見えた。この話がNotte Stellataに繋がっていて、この夜に感じたことを彼は生涯忘れないのでしょうね。

震災後、避難所だった体育館を訪れた時の写真。この様子もeveryで放送されてましたね。まだ子供だけど、自分に降りかかった事と向き合おうとする姿が印象に残っています。ソチ後に石巻を訪れた時の写真に、中学校にサプライズ訪問した写真、仮設住宅のコミュニティに訪れた時の写真。「自分は好きな事(スケート)ばかりやっていて、何もできてないんじゃないか」みたいなことを結弦さんはよく会見などで話してますが、毎年東北の被災地の人たちと触れ合う中で、その葛藤が少し救われることもあれば、ますます強く感じることもあるんじゃないか……と思いました。

震災が関係するプログラム『悲愴』『天と地のレクイエム』『Notte Stellata』の紹介と衣装展示。私は悲愴が気に入っています。Notte Stellataが流れる中で、静かにじっくり見れました。

グッズ展示の反対側に、これまでの震災機構のポスターの展示。結弦さんの「何もできてないんじゃないか」ですけど、毎年ポスターに画像提供、グッズ・書籍の売上はいつも寄付、報奨金や大会の賞金も寄付、毎が年東北を訪ねて人と触れ合って……という活動を見て「何もできてない」ことはないと誰もが思うはず。それでもまだ無力感を感じるなら、結弦さんが答えを見つけられるまで続けたらいい。震災を忘れないでいること、傷ついた人たちに寄りそうことが結弦さんの中で大切なことなら、私はその気持ちごと大切にしたいな、と思いました。

最後に、結弦さんの直筆で書かれた「共に、前へ」の文字。避難所で寄り添って眠る人々の写真がよぎりました。人は結局、寄り添って生きる。これだけ傷ついたことを忘れずに、みんなで一緒に進もう。「みんなで前へ!」と書かれた古いサイン、アイスリンク仙台にも展示してありましたね。この展示全体がそういうメッセージのように思えます。

私はあの日は、東京で震度5弱で家に帰れなくなった程度です。結弦さんが石巻や福島に訪れてなければ知らなかった現状がたくさんあった。それだけでも「何もできてない」ことはないと思います。