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東京&大阪 『ジーザス・クライスト=スーパースター in コンサート』 2021.07.25(日)マチネ&31(土)マチソワ

2年ぶりに『ジーザス・クライスト=スーパースター in コンサート』が帰ってきた。JCSフリークとしては心が踊る。

前回の公演レポはこちらだ。

前回の公演では台風に見舞われ、6回公演の予定が4回しか上演されなかった。しかし今回は、7/12(月)のプレビューから7/27(火)という2週間を超える公演、さらには7/31(土)8/1(日)には大阪公演もあるという手厚さであった。

関西在住の私ではあるが、大阪公演だけで満足できるはずもないと思ったので、7/22(木)~25(日)の4連休で3公演を観る計画を立てて、プレビュー初日以降の日々をじっと耐えて過ごした。
ネットから聞こえてくる評判は極めてよく、2年前の公演が消化不良だったわたしも今度こそ感動できるのではないかという期待を胸に抱き、3公演から4公演にチケットを増やした。

計画としては、7/22(木)マチソワ、7/24(土)マチネ、7/25(日)マチネの4公演となった。(それ以外には、7/23(金)マチネにレミゼ、7/24(土)ソワレに怪人の予定を入れた。)

そして7/21(水)までの仕事を無事に終え、目が覚めた7/22(木)の朝。以下のようなツイートが目に飛び込んできた。

7/22(木)の午前3時に投稿されていた。まさかの中止。こんなことがあるだろうか。このときの私のパニックっぷりをお伝えするのがこの記事の目的ではないため詳細は割愛するが、本当にどうしようかと思って奈落の底に落ちた気分であった。

7/22(木)はJCSマチソワの予定だったため、この日に上京する意味はないと判断し、この日は自宅で過ごした。ちなみに私をフリーにするために、愛妻が子ども二人を連れて実家に帰ってくれることになっていたので、新大阪駅までは見送りに行った。

7/22(木)の夕方に、中止公演は当面7/22と7/23ということが発表になった。ということは、7/24(土)と7/25(日)の公演は実施される可能性があるということだ。
この情報をもとに、上京を決意し、7/23(金)朝から東京に向かった。

7/23(金)マチネに『レ・ミゼラブル』を観劇し、さて明日は無事に上演されるだろうかと気を揉んでいた夕刻17:30。信じられないことに、翌日7/24(土)昼夜公演の中止が発表になった。
ちょっともう立ち直るのが不可能なレベルにまで落ち込んだが、一方で、観劇ができないことは確かに悲しいことだが、健康に毎日暮らせているこの幸運を思えば、こんな不運なんてなんてことないという達観した気持ちも生まれてきた。

7/24(土)の昼は観劇予定が飛んでしまったが何もする気が起きず、リフレクソロジーに行き、ゆっくりと休んだ。そしてリフレが終わりスマホを確認すると、翌7/25(日)からの公演再開が発表されていた。やった!
本当にうれしかった。おかげで、ソワレの『オペラ座の怪人』も心穏やかに観劇することができた。

感想の前に大阪公演について記しておく。
子どものことがあるので、7/31(土)のマチネだけを観劇する予定にしていたが、今回の中止を不憫に思った愛妻が、もっと行ってきていいよと言ってくれた。本当にありがたい。なので、お言葉に甘えて、同じ土曜日ソワレに観劇させてもらうことにした。
このソワレのチケットは、直前に当日引き換えのS席を定価13,000円で購入したのであるが、当日の劇場ではリピーターチケットということで、ソワレの公演チケットを8,000円で販売していた。気が抜けるほど腹立たしいことであったが、あそこまで客席がガラガラであれば仕方ないと諦めもついた。

観劇というのはもちろん一期一会であり、1回1回感じるものが違うのであるが、ここでは敢えて総論として今回公演の感想を記すことにする。というわけでようやく舞台(コンサート)の感想に移る。

この公演の最大の価値は、ロベールのピラトにあると言っても過言ではない。前回の公演でもダントツに素晴らしかった。役者がピラトの苦悩を演じることができるかどうかで、この作品の奥深さが一気に変わってくるのだ。
その点、劇団四季のピラトは光枝さんこそ素晴らしかったものの、それ以降はまったくパッとしない(ファンの方すまん)。うまいうまいと言っても、本当のピラトではないのだ。だが、ロベールのピラトは違う。本物のピラトだ。今回の巷の感想でも、そのことが皆に伝わっているようで、うれしかった。これぞ本物の苦悩なのだ。
とはいえ、実は、前回公演で受けたほどの衝撃は受けなかった。それは今回の演技がそこまでではなかったのか、あるいは期待値が高すぎたのかは謎だ。しかし不満はない。本当に素晴らしいピラトであった。(何度でも書くが、1973年映画版のピラトが最高である。未見の方にはぜひご覧いただきたい。)

ラミンのユダは、エビータのチェのときも思ったが、なんというか彼の魅力を引き出せていないというか、ピンと来なかった。マイケルジーザスとの相性は良さそうであったが、そもそもラミンにはストーリーテラーの役は合っていないのではないかと思った。
コンサートだから仕方ないのかもしれないが、アレンジを効かせまくりなのも個人的には好きではなかった。もっと丁寧に歌ってほしい。けど、好きな人には堪らない歌い方なんだろうな~、というのもわからないではない。
上手であることは間違いないのだから、ここは好みの問題なのであろう。

マイケルリーのジーザスは、2015年の韓国公演で何度か観ている。正直、そのときはダブルキャストのパク・ウンテの方が遥かに上手く、マイケルリーも大したことないな、と思ったのであるが、今回はあのときよりはよい状態で、堪能することができた。
が、これもまたコンサートならではのアレンジは好みではなかった。役を生きるという点では、真正面からジーザスを生き抜いたと思う。上でも書いたがラミンとの相性もよかった。なんやかんやと、このふたりのおかげでこの舞台も価値があがったと云えるだろう。

セリンダのマリアは、私の思うマリアとはまったく異なり、極めて強いマリアであったが、これはこれでこのような役作りはアリだと思った。何よりも歌唱にストレスがないのが素晴らしかった。

日本人キャストに関しては多くを語らないが、柿澤さんはまったくイケてなかった。宮原さんと藤岡さんは丁寧に歌っていて好感が持てたが、もっと突き抜けるものがほしかった。
アンサンブルにいた大塚たかしさんは、四季のジャポネスクバージョンのヘロデとしてはシモーヌ以上の評価を得ていたとも云えるが、どんな思いで藤岡ヘロデを観ていたのか、興味深く思われる。きっと、俺ならもっと、、、という思いもあったのではないかと邪推。

しかしコンサートバージョンの最大の欠点は、アンサンブルが少ないことだ。本来この作品の見どころは群衆の心変わりにこそあると思っているので、そこを堪能できないのがやはりJCSフリークとしては心躍らない最大の原因なのだろうな、とも思った。

とまぁ、例によって文句ばっかりになってしまった感はあるが、何といっても自分の好きな作品の音楽を2時間ずっと浴びていられるというだけで、私にとっては至福の時間であった。
自分でつけておきながらなんであるが、諸々のケチなんて、どうでもよくなってしまう。それこそがジーザス・クライスト=スーパースターの魅力なのだ。





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