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浅利先生追悼公演 『ミュージカル李香蘭』 2019.07.31(水)マチネ&08.09(金)マチネ

私事であるが、7月に第二子が誕生した。それもあって観劇は控えていたし、毎日が慌ただしくてnoteを書く余裕もなくなっていたが、それでもこの『李香蘭』についてだけは書かなければならない。

浅利先生の追悼公演シリーズは、どれも先生の追悼として相応しい演目であるのは間違いないが、それでもやはりひとつ選ぶとすればこの李香蘭だ。この作品には、先生の演出家としての思いだけではなく、戦争を知る人間としての思いが詰まっている。

私などがこの作品の意義を語るよりも、先生の言葉がいちばん胸を打つ。今回の公演でも配られていた『語り継ぐ日本の歴史』だ。過去には劇団四季のサイトにも常設されていたページだが、先生が事務所を立ち上げてからは消えてしまった。先生の意向なのか四季の意向なのかはわからないが、正直もったいないことだと思う。この名文はひとりでも多くの人に読んでほしいと切に願う。

さて、その『ミュージカル李香蘭』だ。
初演から28年が経つというのに、その新鮮さはまったく失われていない。むしろ円熟味を増して、その完成度の高さに驚かされる。
確かに、主演の李香蘭役の野村玲子(りょうこ)さんや、ストーリーテラー川島芳子役の坂本里咲さんの声量・声質的な衰えは隠せない。何しろお二人とも還暦近いのだ。しかしそんなマイナスを吹き飛ばすほどの熱量がこの作品には潜んでいる。ミュージカルとしてのテクニカルな側面などは二の次だ、とは決して考えていないが、この作品は、そう言わしめてしまうだけのものがあるのだ。

特に、30年近くに亘ってほぼひとりでこの李香蘭役を演じてきた野村さんの憑依ぶりはすごい。しかも若き日の李香蘭こと山口淑子さんご本人にお顔立ちが似ているのだ。役を生きるとはまさにこのことだと体現しつつ、舞台上に李香蘭が存在している。
玲子さんとともに永年浅利先生を支えた坂本さん、そして浅利先生をして保坂知寿さんの再来と思わしめた樋口麻美さんが最高の演技で華を添える。
香蘭に「教えて、心にも国境があるのかしら?」と問われた樋口愛蓮はボロボロと涙をこぼしていた。役を真に生きていなければ流れない涙だ。

歴史の運命に弄ばれて、日本人であるという素性すら明かさず、中国人として生きた李香蘭。彼女を襲った数奇な運命は、舞台を観て感じてほしい。
ただひとつ、エンタメの宿命とも言えるが、史実ではない青年杉本との恋愛も物語として組み込まれているのは愛嬌だ。決して不自然な形ではなく、日本と中国からそれぞれ男女の代表を描いて構成されたこの作品の中で、違和感なく悲恋のエピソードが盛り込まれている。これぞ演劇だ。

このミュージカル李香蘭が、劇団四季主催から浅利演出事務所主催になって、大きく変わったことがいくつかある。

ひとつは、セットがシンプルになったことだ。平頂山の皆殺し事件でも、かつては戦闘車が登場していたが(専用劇場と全国公演では台数が違った)、今や一台も車は出てこず、人間だけで射殺している。また、海軍の月月火水木金金でも、船のセットがなくなり、広々とした舞台でダンスが繰り広げられている。
もちろんこれらは、弱小事務所である浅利事務所が主催であるため、コストカットしているというのが実情だと思う。しかしながら、このコストカットがまったく悪い方に作用していない。逆に、俳優たちの力量でこれらのシーンを保たせなければならなくなったため、より迫真の演技となっていると思う。嬉しい誤算だ。

そしてこれはあまり触れたくないが、テープを多用しなくなったことだ。劇団四季主催の際は、特に「李香蘭」として歌うシーンを中心に、声の出なくなった玲子さんであっても綺麗に歌えるようにテープ音源が多用されていた。ところが浅利演出事務所主催になってから、生歌で歌うことが多くなったのだ。どういう意図なのか、正直わからないところであったが、それはそれでまさに渾身の歌や演技となり、悪くなかったと思う。
ただし、今回の公演では、前回までと異なり「テープかな?」と思われるシーンも散見された。そんなことを気にしながら観るというのも興醒めなのであるが、気になった点だ。

そしてわたし的最大の変更点は、ラストシーンだ。
ネタバレになるが(史実であるからよしとしよう)、上海軍事裁判所でその罪を問われた李香蘭は無罪判決を受ける。そこで、李香蘭を死刑にしようと叫んでいた中国の人たちが、「徳を以て怨みに報いよう」と歌うシーンだ。
四季時代は、史実そのものであるかのように、最後までこの「以徳報怨」を歌わない中国人(役の俳優)がいた。松永さち代さんなどがその代表だ。ところが浅利事務所主催になってから、すべての中国人がこの以徳報怨を歌うのだ。しかも最後の最後、正面を向いて力強く歌うのだ。
この件を友人と話したことがあるのだが、その人は「もちろん史実としては李香蘭を赦せない中国人がいたのは当然だけど、全員が李香蘭を赦すような世界であってほしい、という祈りが込められているんじゃないですか」と言っていた。素晴らしい慧眼だと思う。そして私はこの演出が大好きだ。

過去、裁判長が「被告李香蘭を無罪とする」と言った瞬間に拍手をしたお客さんがいたことがある。正直、驚いた。この舞台を観たことがある方ならわかると思うが、あそこはなかなか拍手を入れるのも難しいタイミングなのだが、裁判のシーンに入り込みすぎて、感極まってしまったのだと思う。
あの裁判にはそれだけの真実味、切迫感がある。素晴らしいシーンだ。

この舞台は、終戦記念日を前に、残念ながらあと3日で終わってしまう。浅利先生を追悼する最高の作品だ。
だが幸いなことに、この作品は過去に3度(3種類)テレビ放送されており、最後のバージョンはDVDとしても販売されている。映像では、生の舞台の魅力の10分の1も感じることはできないが、それでもじゅうぶんにその凄さを体感することが可能だ。
過去のテレビ放送の録画や、あるいは販売されたDVDをお持ちの方は、ぜひ自宅でも鑑賞してみてほしい。

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