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映画感想 アガサ・クリスティ原作『ナイル殺人事件』(2022)

映画の感想を書くのは初めてだ。

アガサ・クリスティ『ナイルに死す』、2度目の映画化となる『ナイル殺人事件』を見てきた。小説の原題がDeath on the Nileなので、他の多くの作品のようにMurderで始まる原題が殺人事件と訳されているのとは異なり、やはり小説の「死す」という訳が秀逸と思う。

1978年版の初映画化でも『ナイル殺人事件』というタイトルであった一方、デビッド・スーシェのポワロがどハマリしている『名探偵ポワロ』(一般的にはポアロと表記されるこの名探偵が、このテレビシリーズに於いてのみはポワロと書かれる)のテレビ版では「ナイルに死す」というタイトルとなっているのは正統派とも云える。

この作品は、(特に調べたわけではないが)文庫本の厚さから言って、アガサ・クリスティの小説の中でいちばん長い長編だと思われる。ある意味で、彼女がいちばん力を入れた作品だ。
ミステリーとしても、犯人の立場に立てばわかるがかなり大胆なトリックを用いており、たとえ空気感で犯人がわかったとしても、早い段階で実行方法を指摘するのは困難と思われる。謎解きの質の高さは保証できる。

原作が優れているので、真正面から映像化すれば、それなりに面白いものになるのは間違いない。しかも事件の現場がエジプトであるため、映像としても映える。ピラミッドにナイル川。映画化には持ってこいだ。(ミュージカルファンとしては『王家の紋章』や『アイーダ』を思い出さずにはいられない。)

しかしリメイクに於いては、オリジナルと同じ面白さを追求しても仕方ない。今回のリメイクでは、ミステリーとしての面白さ以上に、人間としての愛を描くことに注力されたことが見て取れた。

一般的には、ミステリーには愛の要素は不要だし、それ以前に本格ミステリに於いては「人間を描く」ことすら否定される。登場人物がパズルのように描かれてこそ、論理的に犯人を指摘できるからだ。
しかし今作は、その定石に真っ向から歯向かい、嫌というほど人間を描き、愛を描いている。

その一翼を担っているのが、ムッシュー・ブークだ。ブークは一作目の『オリエント急行殺人事件』に出てきたポアロの友人だが、原作ではオリエント急行にしか出ておらず、『ナイルに死す』でポアロの友人として登場するのはレイス大佐だ。前2作の映像でも、レイス大佐が登場している。
しかし今回のケネス・ブラナー版では、レイス大佐ではなく、ブークが前作に続いて登場する。これがひとつの単発映画ではなく、ひとつのサーガであるということの現れだろう。

そして上でも述べた「愛」のひとつに大きく関わる。この作品はブークによって新しい命を吹き込まれたと言ってもよい。特に前2作を知ってこの作品に臨む人は、ぜひブークに注目してほしい。

総じて、1978年版のキャストがエキセントリックだったのに比べ、今作は常識人が揃っている印象だ。その点でちょっと物足りなさはあるが、よりリアルになったとも云える。だからこそ、パズルのような謎解きではなく、愛の謎解きを描くことができたのかもしれない。

ただ、個人的好みを言えば、名探偵であるポアロにまで過去のストーリーを当て込み、人間味を出そうとするのは好きではない。数年前にBBCが作った『ABC殺人事件』(ポアロ役はマルコビッチ)でも、ポアロの過去に焦点を当ててポアロの苦悩を描く形になっていたが、新しいカラーを出すためには仕方ないのはわかるが、逆に興醒めだった。やはり名探偵は超人であってほしい。
今回も(前作のオリエント急行ですでにその予兆はあったが)ポアロの恋バナが絡めて描かれており、そこだけは余計な潤色だったと云える。

もう少し具体的な感想も書いてみよう。
サイモンの元フィアンセで、サイモンを親友のリネットに取られてしまうジャッキー。78年版では
、このジャッキーが本当に執拗で、見ていて恐ろしくすらあったが、今作は怖さよりも切なさが感じられる。
そしてこれは私の好みの問題かもしれないが、そもそも旧作のジャッキーは魅力に欠け、サイモンを取られてしまうことにある意味説得力があったのだが、今作のジャッキーは極めて魅力的で、サイモンが心変わりすることに説得力が欠けた。これは物語的にどちらの方が入り込みやすいのか、見る人の感性に依存する部分かと思う。(そもそもどちらのジャッキーを魅力的に思うかも人によって違うだろうけれど。)

そして旧作でいちばんインパクトがあったのはサロメ・オッタボーンかと思う。小説家の役でありながら、あの存在感。一度見たら忘れられない。
一方で今作では、なぜかしらサロメは小説家ではなく歌手という設定になっている。それはまぁよいのであるが、存在感がかなり薄くなっており、ちょっともったいなかった。

いちばん違うのは、ポアロだ。
旧作のピーター・ユスチノフは小説で「小柄」と書かれるポアロ像には合致しないが、それを除けばかなり小説を読んだ人のイメージするポアロに近いと思う。
一方で、今作の監督でもあるケネス・ブラナーのポアロは、前作オリエントでもアクションポアロと言われていたように、武闘派だ。安楽椅子探偵ポアロからはほど遠い。これがケネスなりの新しいポアロ像であるというのはわかるが、好みは分かれるところだろう。

原作あるいは旧作ファンにはいろいろと納得の行かないところも多いと思われる今作だが、愛の物語と思えば極めて質の高いドラマであるし、ミステリーとしても超弩級のビックリが秘められているので、原作・旧作ファンにこそ見てほしい佳作である。もちろん、この作品が初ナイル殺人事件になる方も楽しめるだろうし、新作→旧作(原作)の順でもたいそう楽しめること請け合いだ。

この春オススメの一作である。

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