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ホリプロ ミュージカル『生きる』 2020.10.17(土)マチネ&10.18(日)マチネ

ホリプロのオリジナルミュージカル『生きる』を観るために、東京は日生劇場へ足を運んだ。

この作品は、2018年の初演時、特にそそられなかったが余りにも開幕後の評判が良いので急遽観に行くことにして、そして評判通りに素晴らしい作品であり、号泣して感動したのだった。
そのときの劇場は赤坂ACTシアターであった。まぁお世辞にも良い劇場とは言い難い。それが今回、なんと、至高の劇場である日生劇場で上演するというではないか。もうそのことだけで、東京遠征を決断する理由となり得た。

関西住みの身としてはおとなしく兵庫公演を観るという手もなくはなかったが、日生劇場となれば話は別なのだ。もし今回もACTだったなら、ひょっとしたら東京にまで行かなかったかもしれない。それほどまでに、日生での公演というものは私にとって(そしておそらくは多くのミュージカルファンにとっても)価値のあるものだ。

もちろん劇場がよいだけでは意味がない。その場所でこの素晴らしいミュージカル『生きる』が上演されるということが大事なのだ。
前回の公演で、内容には完ぺきな信頼を置いていたので、行くと決めたからにはチケ取りに気合いを入れた。このところコロナの関係ですっかり劇場へ行く頻度も減り、チケ取りする機会もめっきり少なくなってしまったが、それでも観たい公演はチケ取りが必要なのだ(当たり前だ)。

結果として、土曜マチネと日曜マチネは1階最前列センター、土曜ソワレは希少なB席を確保することができ、完ぺきなチケ取りだったと思う。

一方で、上京観劇には常に、我が子グスタフをどうするかという問題が付きまとう。今年3月の上京時に4回もシッターさんに預けてしまったためなのか、それ以来、グスタフはシッターさんに預けられるのを嫌がるようになってしまった。
今回は、何故かしら「預けられてもいいよ~」と突然気を変えてくれたので、本当に助かった。が、それでもどうしても、土曜のマチソワを預けるのは余りにも過酷だと判断し、泣く泣く土曜ソワレはお譲りすることにしたのだ。鹿賀さんと小西さんのペアは初演ではなかったし、今回見ておきたかったのだが、そこは苦渋の決断であった。

というわけで観劇したのは、市村さんと新納さんペアの10/17(土)マチネ、そして鹿賀さんと新納さんペアの10/18(日)マチネ、いずれも1階最前列センターでの観劇となった。

さて、ミュージカル『生きる』。本当に素晴らしい作品だ。

私は劇団四季を立ち上げた浅利先生に傾倒していることもあり、オリジナルミュージカルとしては四季の『李香蘭』や『夢から醒めた夢』の素晴らしさをじゅうぶんに知っているのであるが、それでもこの『生きる』にはそれをも超えた感動を受けてしまう。
もちろんオリジナルの黒沢映画が素晴らしいということもあるし、ミュージカル化に当たっての作曲を外国人に依頼したというのもヒットだったと思う。オリジナルミュージカルだから日本人作曲家、という固定観念にとらわれなかったことは特筆に値すると思う。

何と言ってもこの作品、歌が多いのだ。そしてちゃんとダンスもある。ファミリー向けミュージカルなどでよくある、お約束のようにポイントのみで入れた歌ではなく、できるだけ話の多くを音楽で紡ごうという意思の見えた歌とダンスなのだ。これぞ私が観たいミュージカルの形だ。
リフレインもうまい具合に使われており、成功した音楽と云えると思う。

ストーリーと役作りについても触れておこう。

鹿賀さんと市村さんがダブルキャストで演じる渡辺勘治は、ある日、自分が胃ガンであり、余命半年であることを知る。そこで人生の意味を見つめなおす中で、元部下である小田切とよの輝きに、生き生きと生きることの素晴らしさを教えられる。残り僅かな人生を「生きる」ために、彼は事なかれ主義を捨て、公園建設という一大プロジェクトに突き進むのだ。
そしてその公園建設の持つ意味は、息子である渡辺光男の人生と大きく関わっていた。この作品は、渡辺勘治が生きる意味を見つける物語であるのみならず、息子を愛していることを全力で示す物語でもあるのだ。

この前半の渡辺勘治の精気のなさは、鹿賀さんに勝る人はいないだろうというくらい、鹿賀さんの醸し出す空気が最高だ。市村さんはどうしても精気に溢れすぎてしまい、事なかれ主義の役人からは遠すぎるところにいるのだ。これは役作りを超えた個人の資質の問題だと思う。しかしそれでも役作りでイケてない風味を作り出す市村さんもさすがだ。
開眼した後は、鹿賀さんも市村さんも、本領発揮だ。お二人とも日本ミュージカル界のレジェンドであり、「生き生きと生きる」役柄はお手の物だと思う。生き甲斐を見つけ、命を削りながらも目標に向かって邁進していくその様は涙を誘う。

物語の楽しみ方は、観た人がそれぞれ決めればよい。それでもこの作品のベースには、息子の渡辺光男への反感を誘う要素があちこちに散りばめられている。息子が父の愛を理解しないことへの苛立ちを、ストーリーテラーでもある小説家を通して共感するのだ。

その小説家役には、初演から続けて新納慎也さんと小西遼生さんがキャスティングされている。初演の時は新納さんのインパクトが強すぎて小西さんの印象が残っておらず、だからこそ今回は小西さんも観たかったのであるが、両日とも新納さんの小説家で観ることになった。でもそれはそれで、とても好みの小説家役であるため、楽しみでもあった。
初代トートダンサーだった新納さんが、ほぼ踊ることなく、ここまで大きな役を、しかも完ぺきに役を生きて演じてくれるとは、本当に舞台の世界は進化するのだな、と思わずにはいられなかった。新納さんの役者人生いちばんの当たり役と言ってもよいと思う。

2年前の初演時には2歳だった我が子グスタフが、今は4歳になった。渡辺親子に比べれば格段に年が離れている私とグスタフであるが、私がいつも感じるグスタフへの愛も、渡辺勘治が示した愛と同じなのかもしれない。
小さい子どもを愛するのは親として自然なことだと認識しつつ、未経験の領域である、大人になった我が子との関係を垣間見た。このミュージカルは、今後の私の人生にひとつの指標を示してくれたと思う。

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