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輝やかしい才能と、鮮やかな時代の会遇


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1965年。パリではシルビー・バルタンのヒット曲「アイドルを探せ」が流れていた。「イエイエ」と呼ばれるポップスの勃興期だ。シャンゼリゼ、サンジェルマン・デプレ……。若者の文化が芽吹きつつあった。

私は引っ越したばかりのホテルから百貨店のプランタンやギャラリー・ラファイエットのウインドーを眺め、ブティック街のサントノレ通りをシャンゼリゼまで歩き、行き交う人の装いをカフェで観察するのが日課になっていた。

一日中カフェに座っていてもまったく飽きない。そんな街角スナップをカメラで撮影して日本の雑誌社に送るのだ。服飾文化に目覚めたばかりの日本はパリ情報に飢えていた。記事も書いていたのでまずまずの収入になった。

(デザイナーの実力を本場のパリで試してみたら?)

半年の期限が近づくとこんな思いが日に日に強まってくる。渡航以来、見聞を広げることに専念し、実はデザイン画はまったく描いていなかった。このまま帰国したらきっと後悔するに違いない。
部屋を見渡すと机の上にスケッチ帳や筆記具が放置してある。鏡に映った自分の顔を見つめているうちに突然、心の中で何かがはじけた。

(失うものはなにもない。当たって砕けろの精神だ!)

おもむろに画用紙に向かい、一心不乱にデザイン画を描き始めた。アジア、中東、アフリカ、欧州……。各地で吸収してきたすべてをたたきつけるように数十枚を一気に仕上げた。描き直しができないサインペンを初めて使った。そのせいか線に伸び伸びした勢いがあり、迷いがない。

翌日。つたない英語を使い、サントノレ通りにある大好きなブティック「ルイ・フェロー」に持ち込んだ。奥のアトリエにいた中年女性が「どれ、見せてごらん」と身ぶりで手を差し出してきた。プロらしく眼光は鋭いが、柔らかい温和な笑顔を浮かべている。

私はそこで生涯忘れられない体験をする。スケッチ帳を渡すと女性は慣れた手つきで目を通し、素早く5枚を選び出したのだ。そしてフランス語でなにか話しかけてきた。

「いくら払えばいいの?」

おそらくこんな意味のことを尋ねていたのだと思う。

「えっ、絵の値段ですか……。いくらでもいいです」

突然の展開にビックリし、私は要領を得ない返事をした。価格のことなどまったく考えていなかったからだ。

女性は笑いながら1枚25フラン(1フラン=約73円、約1800円)換算で計125フランを現金でくれた。ホテルが1泊9フランだから決してバカにならない額である。感想だけでも聞けたら上出来と思っていたのでこれは望外の喜びだった。

すっかり気をよくした私はさらに大胆な行動に出る。雑誌「エル」編集部に直接売り込んだのだ。出迎えたのは「ボン・マジック」というページを担当する中年男性。

彼はデザイン画を見ると感心するように何度かうなずいた後、10枚を選んで1枚50フランで購入したいと言ってきた。昨日の倍額である。しかも親切なことに、これから売り込みにいくべきブティック、アパレル会社、雑誌社の担当者や連絡先まで教えてくれた。

追い風が吹いてきた。
私は当惑しつつも、不思議な手応えを感じていた。

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高田賢三:ファッションデザイナー

日経新聞 私の履歴書 2016/12/14



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