エンタメレビューVol.6 ゲーム『イースX -NORDICS-』

生まれた瞬間、人は皆自由である。
そこにはまだ何の束縛もない。

だが年を重ねると様々な力に縛られる
次第に自由を奪われていくのだ。

そして、いつしか自由へ戻ることに恋焦がれる。

だが──

本当はいつでもそこへ戻れるはずである。

アドル・クリスティン著 『北人の失楽園』本文より~

イースX公式サイト:https://www.falcom.co.jp/ysx/story/

序文

2024年最初の投稿ですが、いきなり引用からはじめました。
2023年中にプレイした最高評価ゲームのレビューから、2024年をはじめたいと考えています。
……本当は2023年中に書く予定だったんですが。

2023年の最高評価ゲームは、というか2000年以降の最高評価ゲームは、『イースX -NORDICS(ノーディクス)-』です。
35周年記念イヤーに発売された、シリーズ最新作です。
シリーズとはいっても、『I&II』が話として連続する以外は、基本的にナンバリングのどのタイトルからプレイしても1作完結のストーリーになっているので、今作からはじめる、ということも簡単です。
事前知識はなしではじめられるというか、事前知識なしでもシリーズにおけるプレイヤーと主人公アドルの立ち位置を再定義する、そんな作品が今作です。

概要

1000数百年前の赤毛の冒険家アドル・クリスティンは生涯100余冊の冒険日誌を綴ったらしく、その冒険日誌を現代語に翻訳・翻刻したものをゲームという形で読んでいる、というのがシリーズを通して一貫した世界観設定です。
『I&II』、『III』~『V』、『VI』以降という区切りでゲームとしての大まかな傾向に差がある(その詳細は書きません)ものの、↑の世界観設定だけはブレていません。
したがって、プレイヤーはアドルとしてその冒険日誌を追体験する、という形でストーリーを進めていく、アクションRPGと呼ばれるジャンルのゲームです。
世界自体は架空の大陸なものの、現実世界のヨーロッパに近い場所が舞台になります。
これまでにおおよそ地中海なところや、おおよそバスティーユなところ、おおよそアフリカ大陸の北部沿岸っぽいところを旅してきて、今回は北の海が舞台、という設定で、初の海の上で物語が進むタイトルでした。
公言されているテーマは「家族」で、当然そう公言するだけのストーリーがありました。

ストーリー

アドルは、次の旅の目的地を目指して、港町・カルナック付近に到着しました。
ところが乗っていた船がどうやら違法航行中だったようで、カルナック近海を根城に活動するバルタ水軍により捕まって、カルナックに滞在せざるを得なくなりました。
カルナックに滞在する間に旅銀を稼ぐ等して出発準備をしなければ、という流れで、町の自警団を訪れようとした時に拾った(ちょっと特殊な)貝殻が原因で(いつも通り)問題がアドルのもとに降ってくる、という開始。
今回降ってくる問題では、バルタ水軍棟梁の一人娘カージャ・バルタと離れることができなくなる、というおまけつき。
このカージャが本作のヒロインで、かつもう一人の(今作限定)主人公です。
二人をつなぐことになった枷を解除する、というのが今回の旅の目的になります。
ここから先は、実際にプレイしてください。

ゲームシステム

今作が初の「プレイヤブルキャラクターは(アドルとカージャの)二人だけ」というスタイル。
ほぼずっと二人を切り替えながら戦うか、同時にスキルを使用するコンビモードかで戦います。
それぞれ30程度のスキルがあり、あるスキルを使用し熟練度とレベルを上げることでその先のスキルが開放されていく、というスキルの仕組み。
異なるスキルを連続で使用していくとチェインがつながり与ダメージが大きくなっていく、というコンボみたいなものもあります。
このバトルシステムは、おそらく成功だったと思いますが、慣れてくると戦闘が簡単に感じすぎるきらいはあります。

プレイヤブルが二人しかいないため、それぞれのキャラクターを好みのパラメータにする成長システムで、石をセットしてその数や色でパラメータを強化するレリーズラインという仕組みも追加されました。
簡単にいうと『FFX』のスフィア盤ですね。
プレイ前はめんどくさそう、と思っていました(『FFX』の挫折理由のひとつがスフィア盤の身)が、あくまでアクションRPGのイースなので、ここは非常に簡単な仕組み(端的に、色と数しか関係ない構造)であったので、煩わしくないです。

キャラクター、ないしはヒロイン

たぶん、カージャは歴代のヒロインの中で、最もヒロインらしくなく、かつ最も相棒感あるヒロインです。
やってる行動は全部歴代最多でヒロイン行動なのに。
アドルと"姉弟"というべき設定で、作中でも「兄弟!」って呼んでます。
そういう感じの関係です。
カージャを好きになれるかどうか、というのは今作を好きになれるかどうかのかなり大きな要素ですが、イースの中では飛びきりに珍しい存在です。

再定義の作品

冒頭に引用した記述は、おそらくイース開発の今後にむけた宣言だと考えています。
『VI』から新しくなったシリーズの作り方ですが、その体制で『I&II』からのシリーズを作っていく、という、ある意味での過去との決別、という感じでしょうか。
"なんでアドルは冒険を続けてるんだろう?"、"なんでドギは(ほぼ)毎回一緒にいるんだろう?"、そういったシリーズをまたいだ関係性に対して、理由付けをする作品になっています。
まさに、「いつしか自由へ戻ることに恋焦がれる。だが──本当はいつでもそこへ戻れるはずである。」を体現すべく、カージャという存在を介してシリーズの世界観を再定義した作品だと感じます。

そして、スタートから様々なところを巡り、最後にラスボスを倒すことで大団円を迎える、という冒険の形で、一般にシリーズ最高傑作と評される『VIII』よりこの点はイースらしいと思います(『VIII』は無人島からの脱出の物語なので)。
一方、プレイヤブルキャラクターとの喧嘩/仲違い→元鞘や、海上の冒険(アドルが漂流しないのはレア中のレア)といった、イースらしからぬ挑戦もありました。
35年続いてシリーズブランドイメージから自由を失った部分があるはずですが、そこに対して挑戦をしながら、ブランドイメージ、キャラクターイメージに沿うストーリーを開発していく、ということは、非常に困難だと思いますが、それをやってのけた決意の作品だった、と思います。

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