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20代史上、最高の仕上がり~第1章③~

高校一年生の時。

アルバイトが出来る年齢になり、地元のマクドナルドとしまえん店(10年ほど前に閉店)で、初めてのバイトを始めた。

人生における初バイトはここにしてよかったと思う。

学校とバイトの行き来をして、高校生活を謳歌していたある日、それは突然に訪れた。

この日は3月で先輩の卒業式に出席していた。

午前中に参列を終え、その足で友達と阿佐ヶ谷のカラオケに出向いた。

そして、1時間ほど経った時。

地下のカラオケルームに衝撃が走った。

今まで経験したことの無い揺れ。

そう、東日本大震災が起きたのだ。

僕は岩手県生まれで、この震災で多大なる被害を受けた。

幸い、身内親戚が亡くなるようなことは無かったのだが、骨折してしまったり、家屋の倒壊や災害によるあらゆる生活困難苦、車中泊、避難所生活等強いられたというのは後に聞いた。

こんなエピソードもあった。

従兄弟が11日午前中気仙沼で仕事をしていて、いつもは海沿いを通って帰るところ、何故かこの日は山沿いを通って盛岡まで帰ったと。

そして、山沿い帰宅中に震災発生。

海沿いをいつものように帰っていたら津波に飲み込まれ命はなかったと。

これを聴いた時に僕は初めて死というものを感じた。

子供の頃にひいばあちゃんの死など経験していたが、ある程度自分の考えが形成されて、人の死を初めてひしひしと感じた瞬間だった。
 
「人って簡単に死ぬんだ」

16歳の僕には衝撃すぎた。

翌日以降も常にテレビ画面には忌々しい震度情報が表示され、死者の数や被害の状況が報道された。

東北道も被害があり、民間で助けに行く事すら出来ない自分の無力さに肩を落とした。

そもそも行けたとて、当時の僕にできることなんて何も無かった。
(この時に僕はふと、「身内の怪我位は身一つで自分が治せる技術を身につけたい」と思うようになり、後に柔道整復師となるきっかけにもなった。)

自衛隊ですら、十分に救出活動に動けたのは少し時間がかかったと記憶している。

そんなある時、福島の避難所に個人でボランティア活動に来てくれた1人の芸人さんが来た。

その方は、単身トラックを借り、交通の許可証を受領し、借金をしてコストコでトラックがパンパンになるまで支援物資を積み込み東京から福島まで届けてくれた。

日本人なら誰もが知る芸人。


そう、江頭2時50分さんだ。


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