コトバの先を考える

今私は、クリスマスツリーを見ている。
カフェに飾られている、チープな装飾を施された、クリスマスツリーだ。
目の前にあるクリスマスツリーを見ているのだけど、
実際には、別のものを見ている。

クリスマス時期になると毎年飾られる、チープなクリスマスツリーのある実家の風景。
子供の頃の記憶。

記憶の中の風景も同時に見ている。

私は、このカフェで、カフェのクリスマスツリーを見ながら、別次元のものを見ている。

見るという行為が、何か情報を目という器官を通して認識するというものであるとするなら、クリスマスツリーの飾りを見た時の自分自身の脳裏に、実家のクリスマスツリーが浮かび上がった。
これは確実に、実家の風景を頭の中で見ることができた、言える。
つまり、一つの情報を見た時に、人間は別のものも一緒に見ていることになる。

経験という記憶も一緒に脳裏に浮かび上がらせている。

私が見ているこのツリーも、サンタクロースが見れば、
家に帰れば常にある、日常的な風景だった場合、
このツリーをどういう思いで認識するか?

同じものを見ているから、同じ気持ち、同じ体験ができるわけではない。

人に何か伝える時、
もし、言葉だけで伝えるのであれば、
その使った言葉を、人が見た時、
何を脳裏の浮かび上がらせるのか、
そこまで考えてみるのも面白いかもしれない。

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