「転々」

 田人に住む前は、鮫川村にいた。鮫川村に住む前は千葉の船橋にいた。船橋の前は、福岡市にいた。福岡の前は、東京にいた。東京の前は、南相馬、原町にいた。

 原町に生まれ育ち、新宿で新聞奨学生の浪人生活を送り、大学に入ってあちこち引っ越し、就職して九州支部に配属され、九州・沖縄を行商のようなことをして歩いた。それから福岡で塾講師。それから船橋・市川・江戸川区あたりで植木屋修行。それから阿武隈山中に移った。

 阿武隈の山並みは、子どものころから仰いでいた。いつかあの山の中で暮らしたいと思っていた。もう群れのなかで暮らすのはうんざりだった。それでも町場育ちだったので、初めて入った開拓集落での暮らしは、初めての都会暮らしより、新鮮で驚きの連続だった。

 そんな古里の阿武隈の自然と暮らしが、原発事故で丸ごとやられてしまった。多くの人が、生活の場を転々と変えざるを得なくなった。私は十年経っても、そのことの意味が分らない。

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