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日のすきま セレクト集(2007年12月~2008年10月)

2007年 12月 15日

 ■ 異様なもの


 高台の庭。
 松から降りて一服すると、遠く海が見えた。

 海に陽があたり、冬田にも陽が降りていた。
 大きな鳥がゆっくり横切ってゆく。

 錆た身を立てて、また脚立に乗る。
 松葉に風が鳴る。

 夜、犬といつものグランドを走ると星が異様に見えた。
 初めて夜の星々を畏れた。

 この宇宙は異様だ。
 薄い皮膜のなかに多数の次元を折り畳み、無言でいる。

 思えばものごころ付いた頃から、時折この異様なものに襲われてきた。
 そうか、そういうことか。

 犬を呼ぶと、暗がりの奥から犬は、
 無限大の虚無を折り畳んで犬は、




2007年 12月 16日

■ 筒


 脚立を積んで谷間を通ると、朝陽を浴びた木の葉が風に舞っていた。
 谷間の空が金を散らしたように輝いていた。
 なぜこう惜しげもなく美は散るのだろう。
 生まれる前にも確かに見た気がする。
 いつか臨終の時にも見る気がする。

 夜、風呂の中で民謡を唄った。
 湯のなかで湯になり、腹から筒のような声を出した。
 洗濯機の上から見下ろしていた猫が、異様な物を見るような眼をした。
 さらに声を張ると猫は、「シャーッ!」と威嚇し身構えた。





2007年 12月 18日

 ■ ジョウビタキ、セキレイ、モズ


 この秋は庭造りの間に、亀山郁夫新訳の「カラマーゾフの兄弟」(光文社文庫)と、宇宙物理本「パラレルワールド」(ミチオ・カク著/NHK出版)を楽しんだ。

 「カラマーゾフ」は映像を見るように一気に奔れたし、「パラレルワールド」は、ひも理論や超膜理論(M理論)の驚くべき描像に呆気にとられた。


 (ひも理論での意味)  (音楽のたとえ)

    数学・・・・・・・・・・楽譜
    超ひも・・・・・・・バイオリンの弦
    素粒子・・・・・・・・・音
    物理学・・・・・・・和音の法則(和声法)
    化学・・・・・・・・メロディー
    宇宙・・・・・・・・ひも(弦)の交響楽
   「神の心」・・・・・超空間に響きわたる音楽
     ?・・・・・・・・・作曲家

                      「パラレルワールド」p28


 これは数理物理学の辿り着いた認識の(現在の)到達点。

 ドストエフスキィーは、カラマーゾフの続編で皇帝暗殺(父親殺し)を目論みながら未完で斃れる。(亀山説)
 これも19世紀文学の到達点。
 実際、ドストエフスキィーの死後二ヶ月に、時の皇帝アレクサンドルは暗殺され、そしてロシア革命が起こる。


 きのう今日、老いた眼科医の庭木を鋏みながら考えたこと。

 宇宙が有限だろうが、無限だろうが、世界が生まれようが、滅びようが、そう思う心があるだけかもしれない。
 このこころに関係なく、はじめからそれは、そうあるのかもしれない。
 この「こころ」を、ひとつの景色として眺めれば、人間は、もっと自由なのかも知れない。
 主人公は、たぶん、誰でもない。

 雪催いの空にジョウビタキがやって来た。
 気が付けばセグロセキレイも尻を振っている。
 モズもキーキー鳴いている。
                       
        



2007年 12月 19日

 ■ 冬蜂


 きのうの雨が氷って、今朝は初めて4駆を入れて山を下りた。
 渓の木々も葉を落とし、今年伸びた枝が空を掻いている。
 この星は傾いているので、角度に応じて季節がある。
 そのことはそうなのだけれど、今日もこうして日々がある。
 
 手入れに入った庭の外水道に冬蜂が仰向けにもがいていた。
 虚空に挨拶を贈るように、脚を曲げ、脚を伸ばし、停止し。

 日が傾いて、ゴミと道具を積み、今日の手間を頂く。
 領収書を書いて渡した時にも、蜂はまだ動いていた。

 山を登って帰ると月は半月。
 蜂はもう動くまい。

     



2007年 12月 20日

■ ざ、ざ、ざ、


 今日は山の沢に竹を切り出しに行った。
 沢の源流沿いに竹はのんのんと伸び、北風に揺れてこすれて乾いた音を立てていた。

 斜面を下り、根本に鋸を入れると、ゆっくり竹は傾く。
 大抵は周りに立った竹に枝葉が寄りかかって降りてこない。
 切断した根本を抱えて渓を引く。
 竹は、ざ、ざ、ざ、と音を立て、空を斜めに落ちて行く。
 ふわりと青いものが地面にさわる。

 それから魚を捌くように枝葉を払ってゆく。
 竹はひと節毎に枝葉を対角線に付ける。
 生え際に下からノコを入れ、上から払うと枝葉は簡単に落ちる。
 そうして必要な太さの分だけ枝を払い、細い梢の部分は切り離す。

 ざ、ざ、ざ、
 ざ、ざ、ざ、と青いものが抜かれ、
 ふわりと地に寝る。
 他に音はない。

 身毒が消え、いくらでも澄んでゆく気がする。





2007年 12月 21日

 ■ キイ

 
 本屋で立ち読みした後、クルマに戻ると、ドアにキイが入らない。
 何かの拍子にキイが歪んでしまったのだろうか。

 不幸はこんな具合に忍び込んでくる。
 知らない岐路を誤って平行世界に入り、微妙にずれた場所に出されてしまう。

 取り敢えず窓を割って、ドアを開け、中の携帯だけでも出そうか。
 見ると、荷台に積んだ脚立がない。

 6尺と10尺と12尺の脚立が三つともない。
 欠落は、こんなふうに突然深まり、取り返しがつかない。

 世界は少しずつ悪くなる。
 不幸は、穴のように沈んでゆく。

 駐車場は私を囚えて薄闇に沈んでいた。
 ふと見ると、ワンブロック先に、でかい脚立を積んだ軽トラがある。

 散々キイを差し込んでいたのは赤の他人のものだった。

 滑らかにキイを回してクルマを出し、トム・ウエイツのダミ声を聞きながら、
 すっかり暗くなった師走の街を帰った。




2008年 01月 06日

 ■ リュウノヒゲ


 また今年も正月の西日本巡りを終えて帰ってきた。

 人混みは苦手だ。
 テレビは末期的。
 消費社会はいよいよ不徳をたどっている。
 交通システムや都市空間はもう未来に来ているかも知れない。

 等々、ぼんやりと感じてきた。
 相変わらず社会と自分は咬み合っていない。
 そんなこんなで白髪も増え、白髭混じりになる。風邪も引いた。

 年末に庭の落葉を掃くと、リュウノヒゲが真青い玉を抱いていた。
 こんな小さなものたちが今の自分が没入できる世界。
 はなはだ情けないが、それが今の私なのだろう。

 けれどこの狭いところにこそ、無限大の宇宙に拓ける位相があるはずだ。
 それは年経るほどに確信めいたものになって来ている。
 丁寧に大胆に生きてゆこう。
 年頭の所感。



2008年 01月 07日

 ■ オイラー


 元旦の広島は雪だった。
 毎年やっている庭の手入れも出来ないので、義父の借りたDVDを観た。
 「博士の愛した数式」

 その中に出てくるオイラーの等式

   iπ
  e + 1 = 0

 を初めて知った。
 自然対数の底(ネピア数e)と円周率(π)、
 これら全く起源の異なる定数に虚数(i)を組み合わせ、1を足すと、
 無(ゼロ)に抱き留められる。

 映画の中で吉岡秀隆が語った、
「数学は人間が出現する以前、いや宇宙以前から存在する言葉です」
 という内容のセリフに心を持っていかれた。
 人間や宇宙が居ようが居まいが通底する確かな言葉。

 心はころころ転がるばかりで少しも定まらない。
 定まらないのが「こころ」の定義だと思いなして、
 早くこの「こころ」を脱いでしまいたい。

 世界も外側。
 こころも外側。
 あとは単純な私「1」をみつけて無「0」を抱き留める。




2008年 01月 09日

 ■ 狗子仏性 



 今日は一日物置の片付けをした。
 こころが定まらない時は片付けものをするに限る。
 四囲を整序すればそれだけ世界も整う。
 世界も自分もそれだけのものよ。

 あっちを片付け、こっちを片づけ、汚れた足袋があれば川から水を汲んできて洗い、洗剤水が余ったので軽トラを洗い、杉丸太が転がっていたのでまた薪割をし、古竹を割り、畑から出てきたまま放っておいた縄文土器の欠けらをまとめ、三年前に刈り取って乾かしておいたハギの枝を整理し、あちこちに散らばり腐りかけた軍手やゴム手や革手をゴミ袋に入れ、クギとかすがいとボルトとビスを分別し、シュロ縄と麻縄とわら縄とビニールひもを分け、使い残しの肥料とセメントと漆喰と粘土をまとめ、溜めておいた木灰を袋にいれ、また古竹を割り、薪を割り、割った薪を積み、時々空を仰ぎ…

 犬が一日見ていた。

 いつものグランドへ行って犬を放した。
 呼ぶとうれしそうに駆けてくる。
 犬は犬以外の前後を裁断している。
 まこと狗子には仏性が有ってござる。





2008年 01月 10日

 ■ 百年椛 


 仕事始めは樹齢百年というモミジの枝抜き手入れ。
 新しい足袋、新しいノコで、百翁の幹肌にかじり付いた。
 枝から枝へ身の重心を移動し、ノコを入れる。
 どんなに細い枝先でも、根元からの力の流れを違えなければ、折れて墜落することはない。
 木が天空へ伸びた力に自分の重心を沿わせ、身を預ける。
 幹枝に添い、根元から太陽へ向けての放射を見取ると、その描線を乱した枝が見えてくる。
 乱れた線の分かれ目から斜めにノコを入れ枝を離す。
 枝元を下にして落とすと、途中の幹枝に掛からないで、するりと抜けてゆく。
 百歳翁も枝先は若々しい。
 緑色の枝が新しい空を掻いている。
 大枝を揺すると、こぼれ残りの種たちが、プロペラのように回って一面祝祭のように落ちていった。





2008年 01月 11日

 ■ 火を燃やす 


 せっせと薪を割り、柴を折り、陽に乾かして、冬にストーブで燃やすのが好きだ。

 (薪ストーブの効用)
 1.暖房
 2.剪定・伐採材の処理
 3.木灰(肥料)の製造
 4.洗濯物の乾燥
 5.心身の安定

 薪は煙を出し、樹液を出し、音を出して、最後にぽっと燃え上がる。
 炎は絹のように、妖精のように、ゆらゆらと踊り、生成し消滅する。
 木は次第に熾(おき)になる。炭になる。灰になる。
 燃えてゆく変化を見ていると、何も怖がらなくていい、という気になる。

 時間は定め。
 この宇宙の時間は一方向にしか流れない。
 親も子も私も燃やされ一壺の灰になる。
 物質が光速を超えないように、時の流れは可逆でない。
 そのことに安心する。
 よどみ滞り遡るのは、こころの働きに過ぎない。
 
 家の飼い猫は火が好きだ。
 ストーブの前に陣取って、じっと火を見ている。
 猫は宇宙人のような顔をしている。






2008年 01月 13日

 ■ 日溜まり 


 きのうは一日雨雪が降った。
 ストーブに薪をくべ、窓の外の景色を眺め、一日が過ぎた。
 雪は時の流れを遅くする。
 
 今日は朝から晴れたが、凍えるような寒さだった。
 少し薪割りをしたけれど、すぐに部屋に入った。
 窓際の日溜まりは嘘のように暖かい。
 そんな場所には必ず猫がいる。




2008年 01月 14日

■ 冬ざれ 


 今日も寒かった。
 不動堂山でカラスが騒いでいた。
 取られ残りの柿の実を争っているようだった。
 カラスにはカラスの冬がある。
 
 アオキの実が朱くなってきた。
 このアオキの株元にキノコの原木を転がしている
 キノコは霜が降りた朝から発生を止め、眠ってしまった。
 
 冬の庭木の手入れをしていると、時折モズのはやにえに出くわすことがある。
 尖った枝先に、トカゲやバッタが突き刺され、ミイラになっている。
 モズの声は、凍てついた空によく通る。
 何のために鳴くのかは知らない。

 このところ仕事が薄いのでゆっくり寝ている。
 何か夢を見ているのだが、この世界に入るとすぐに失せてしまう。




2008年 01月 19日

 ■ ありがたし 


 三日間、20m強の高木の枝下ろし仕事をしていた。
 イレギュラーながら、二連ばしごを木の股に架けてよじ登った。
 無事に終わって地上に降りた時は、歴史にも地理にも地球にも宇宙にも感謝したい気持ちだった。
 シュレーディンガーの猫という量子論の思考実験があるが、すべて終わるまで自分は、墜落死、脊椎損傷、頭蓋骨折、不具、裂傷、また、下の家の破壊、電線切断、賠償、等々のパラレルワールドを右往左往していた。
 なんとか無事に波動関数が収縮して、以前までの自分を接続している。
 昨日と今日が、朝と夕方が、つつがなく繋がることの有り難さ。
 ありがたし。
 依頼主の婆さんが、「おかげで久しぶりに朝陽を拝めるようになりました」、
 と喜んでくれた。
 南面の高台に突っ立っていたので太陽を隠していたのだ。
 サクラとコナラ。
 下ろした枝は良質の薪になるし、キノコの種木にもなる。
 これもありがたし。





2008年 01月 20日

 ■ ひろし爺さん 


 トラックから仕事で出た枝や丸太を下ろしていると、ひろし爺さんが通りかかった。
 「ホぉ、大した燃し木だない」
 ひろし爺さんはひろし婆さんの連れ合いだ。

 ひろし婆さんは、私が植木屋修行中に時々手伝いに行った「ひろし」さんに似ているので、勝手に命名した。
 その爺さんも名前が分からないので「ひろし爺さん」にした。

 夫婦は近くにあった縫製工場を勤め上げ、今は年金暮らしをしている。
 婆さんは会うといつも最敬礼の挨拶を返してくれる。
 私はひろし親方にお辞儀されている気分になる。
 爺さんは耳が不自由でロシアの農奴のような陰気な顔をしているが、時折こどものような表情で話かけてくる。
 音が伝わらないので、表情で応える。

 老夫婦は川向こうの畑を丹精している。
 特に爺さんは毎日畑に出ては何かしている。
 今日は焚き火をしていた。
 灰を肥料にするのかも知れない。
 じっと座って火をみている。





2008年 01月 21日

 ■ 小さいもの 


 久しぶりに不動堂横の畑を耕す。
 冬の日が当たって暖かそうだったが、風が冷たい。
 動かないでいると凍えてしまう。
 水路の水もいつまでも凍っている。
 それでもイヌノフグリが小さい花を付けていた。
 少年の頃、道端にこの花を見つけるのが好きだった。
 冬の日溜まりの小さく青い星。
 小さいものに向き合っていると、
 ひっ、ひっ、とジョウビタキが来て尾を振ってゆく。
 いつもひとりで楽しそうにやってくる。
 そしていつの間にかいなくなる。
 




2008年 01月 23日

 ■ 流れる 


 右奥歯の抜歯。
 ペンチのようなものでギリギリと歯を抜かれている間、外は雨になっていた。

 無のゆらぎの多数の次元のひとつから宇宙が誕生し、銀河が渦巻き、太陽が燃え、丁度よい距離に地球が回り始めた。
 地球は、衛星月を持ち、いくつかの小惑星衝突を受け入れ、様々な元素が化学合成し、海が生まれ、海は潮汐し、奇跡的に生命が誕生した。
 単細胞から多細胞、さらに脊椎を持つものが現れ、そのうち哺乳する類が胎内に海を囲い、そこで受精したひとつが人間になった。
 人間の歴史。戦争と平和。愛と憎しみ。信と不信。民族と国家。科学と経済。祖父達が生まれ、父達が生まれ、自分が生まれた。
 自分の半生。幼年期。少年期。青年期。食べ、働き、眠り、読み書きし、病気し、結婚し、喜怒哀楽して来た。
 何処から来て何処へ行くのか、分からない。
 分からないが、時間だけは、変わりなく一方向に流れてきた。
 路傍の石や土くれも、山川草木、魚貝鳥獣も皆同じ方向に流れて来た。
 そしてこれからも流れゆくだろう。

 なんと不思議なことだろう。
 そして意識だけが、こころだけが、このように過去にも未来にも別次元にも飛ぶ。
 自分のこころだけでなく、ひとのこころにも、犬や猫のこころにも、山川草木、魚貝鳥獣のこころにも飛ぶ。
 不可思議窮まりない。

 ところでわが奥歯に取りかかった若い歯科医師は、まだ抜歯に成功していない。
 歯が根元で割れてしまったようだ。
 色んな道具を引っ張り出して四苦八苦している。
 不安この上ない。
 雨は雪にもならずしとしとと降り続けている。




2008年 02月 03日

 ■ ぶむぶむぶむ、


 久しぶりに雪が降っている。
 雪は音を吸っていつまでも降り続く。
 
 犬にエサをやりにゆくと長靴の下で雪が音を立てる。
  ぶむぶむ、
 ぶむぶむぶむ、
   ぶむぶむぶむぶむ、
  ぶむぶむ、
   ぶむぶむぶむぶむぶむ、
   
  歩き回って雪景色を撮った。
  
 庭作りの資料集めで、ずっと家に籠もりっぱなしだった。
 天気が良いのに現場に出ないと、遊んでいる気持ちで焦ってくる。
 今日は雪なので安心だ。
 みんな家に籠もって雪を見ているだろう。
 





2008年 02月 09日

 ■ 十字架 

 
 冬の日が続く。
 土場(材料置き場)を探して、あちこち声をかけていたが近くで良いところが見つかった。
 県道脇の半反ほどカーブしてふくらんだところ。
 山から切り出した材木の仮置き場に使われていた。
 砕石を敷いてあるので2t車も入れる。
 これで地代が年2万円。
 
 地主の古老と土地の確認に歩いていた時、すぐ傍の廃屋が気になった。
 破風のトタン壁に、赤い十字架が打ってある。
 古老に訊いてみた。
 
 「ここに住んでだ奴はずいぶんオレが面倒みてやったんだ」
  老人はぼそぼそと語る。
  もう亡くなったんですか。
 「アタマおがしくて役所に連れられていっだんだ」
 「中を見でみろ、ひどいもんだ」
 地主が渋い引き戸を開けると、座敷にゴミが山のように積んであった。
 「カップラーメンばかり喰ってだんだ」
 鴨居を見ると、聖母子の絵が額に入れて飾ってある。
 そこだけ清しい光があるようだった。
 
 この辺りには昔炭坑があった。
 炭道の通風口がすぐ傍にまだ残っている。
 畑の真ん中に煉瓦造りで立っている。
 それは何かの、忘れられた物語のようだ。
 十字架の掛かった廃屋も、部屋の中のゴミも、聖母子像も、伝承されない物語を抱えたまま、季節の中に朽ち果ててゆく。




2008年 02月 10日

 ■ ルリビタキ 


 庭で薪を割っていると、視界の隅で朱と瑠璃が混じるように交差した。
 ジョウビタキとルリビタキが縄張りを争ったようだった。
 瑠璃が敗れ、クルマの窓に当たって落ちた。
 しばらく動かないので近寄って手に取ってみた。
 あまりに軽いぬくもり。
 気が付くと指にべっとり血が付いた。
 右目の辺りをやられたらしい。
 人と同じ血の色。
 ルリはふとした隙に手を離れ、部屋の中を飛び回った。
 家猫にやられないように、妻とふたりで椅子を持ち出して追いかけた。
 見失って諦めかけた時、スキャナの上の鴨居に糞をして留まっていた。
 もう一度そっと手に包む。
 ここまで幾年か生き続けてきた小さなものの質感が、身体に波紋する。
 この身体で小枝を渡り、地面を探し、さらに小さなものの命を捕ってきたのだろう。
 空に放すと瑠璃色のものは、過たず山の方へ消えていった。
 初めて見るような美しい曲線だった。




2008年 02月 11日

■ 福寿草 

 
 無が飽和して物理の世界が生まれ、
 物理は満ちて化学に溢れ、
 化学は濡れて揺らいで、生命がこぼれた。
 そしてあんた、
 生命は繋がり、重ねられ、
 ぽん、
 と意識に晴れた。
 晴れた、晴れた、
 意識はころころ転がって、心になった。
 心は心に記憶され、記憶は言葉になった。
 言葉はいったい、何処へゆくのだろう。

 言葉はたぶん、
 いろんな次元の旅をして、
 老いて宇宙の身体になり、
 また消滅して、
 無のように泣いたり、
 赤子のように揺らいだりするのだろう。
 
 久しぶりの現場仕事。
 スコップで地面を掘って、猫車で運ぶ。
 横では妻もスコップを振るう。
 小鳥がちよちよ唄っている。
 ミミズがにょろにょろ顔を出す。
 ふくじゅそうの花が開いた。





2008年 04月 10日

 ■ しょんない 


 じたじたと雨が降る。
 家脇の桜は三分咲きのまま。
 ミツマタの花のむせるような香りも雨に流されている。
 
 気が付いたら2ヶ月ここをサボっていた。
 そんなこんなであっという間に白髪の爺さんになる。
 あるいはクレーンの下敷きになったり、吊った石に潰されて植物人間のまま夢幻をさ迷ったりする。
 
 能を見た。
 「羽衣」「小鍛治」。
 笛や鼓が虚を切り裂いて、面を付けた異形のものが別次元に舞い跳躍する。
 謡曲集を文字面で読んでは知り得ないものが現前する。
 
 庭作りが始まって、毎日人様の庭でああでもないこうでもないやっている。
 現場の行き帰りは塩飴舐めながらラジカセで端唄を聴く。

 ♪ 梅は咲いたか桜はまだかいな
   柳なよなよ風次第
   山吹や浮気で色ばっかり
   しょんないな~  ♪
   
 梅も咲いて桜も咲いて、山吹も咲いたのを見た。
 今年も生きながらえて春を見る。
 





2008年 04月 11日

 ■ ちょっとこい 



 行き来する峪道の新緑が日に日に彩られる。
 毎春のことだが絶妙極まりない。
 これは「るーとら」達の仕業だと妻は言う。
 春になると「るーとら」達は山から下りて来て、葉っぱを一枚一枚塗り上げる。
 そんな透明な絵の具を持っているのだと言う。
 
 今日も暗い雨だと観念していたが、なんとか現場になった。
 敷石にする御影石材を土場からクレーン車で吊り上げ現場に下ろす。
 重力だか引力だか、質量というものは殺意に満ちている。
 吊った石の下で座禅を組みたくなる。
 ウグイスが惚れ惚れとする声で鳴いている。
 「チョットコイ、チョットコイ」と呼ぶ鳥もいる。




2008年 04月 18日

■ 花 


 カーテンを開けると、庭一面雪が降ったかと思うような桜花。
 夜来の雨で一気に散った。
 渓の色も日に日に染まり酔ったよう。
 なんだかんだとまた春は来て、
 ネコがパソコンの下に首のないネズミの惨殺体を置いていたりする。
 玄関にはトカゲの死骸。
 モクレンも散って汚くなった。
 生命は物質界の汚れにござる。
  夢にござる。
 モノが酔って
 時間を生きて
 汚くなって
 滅してゆく。
 
 それをひとつの次元として、
 親兄弟、親戚一同の生計(たつき)があり、
 今日、明日、我が身のオマンマがあり、
 子どもがいれば子どもの将来があり、
 花が咲き、花が散り、星が割れ、また、
   夢にござる。





2008年 06月 21日

■  


 この2か月、
 私は一所懸命働いていました。
 友達が死んで泣きました。
 桜が散って、山吹が咲いて、卯の花が落ちました。

 この2か月、
 経費と労賃の計算をしていました。
 マタタビの葉が白くなって、アジサイが色を付けました。
 スズメバチを殺しました。
 
 この2か月、
 クレーン車の下敷きになって死にそうになりました。
 畑の草刈を3回しました。
 目を三角にして怒鳴ったりしました。
 
 畑はラッキョウ、ニンニク、タマネギ、
 ジャガイモは生育悪し、
 
 犬も猫も元気です。
 ただいま毛の抜け換え中。
 夕方7時を過ぎてもまだ明るい。
 
 アセンションなんて知らない。
 魂はおまえのように平板じゃない。





2008年 06月 26日

■ 地力 

 
 雨が、
 降るんだか、
 降らないんだか。

 テレビでは、
 化成肥料で育てられた子どもや、いい歳した大人が、
 無関係な他人を殺傷してうさ晴らしをしている。
 
 それで社会の地力を上げようと、
 EM菌(有用微生物群)だけで土地を肥やそうとする。
 なにが善玉菌で何が悪玉菌なのか。
 
 ぜんぶ一対応一。
 次元が何処にもひらかない。
 
 雨が、
 降るんだか、
 降らないんだか。
 
 絶望した、絶望する次元は、皐月の鯉の吹き流しに、肚の中を、
 びょうびょう吹かせ、その音を聴けばいい。
 生きることは、多層する次元を、ひらき、引き受け、生きること。

 雨が、

 降るんだか、
 降らないんだか。
 
 今日の段取りがつきません。




2008年 09月 30日

 ■ あけびときつね   

 
 今年も秋の田が刈り取られてゆく。
 このあたりはコンバインは少なく、「はさ」に稲束が架けられてゆく。
 家族総出なのだろう。
 見たこともない若者が働いている。
 はさ架けの直線。
 直線が山の田に点在している。
 こんな抽象は、どんな時間がゆくのだろう。
 アケビが実を太らせ、もうすぐ割れる。
 何かが満ちて、かなしみがこぼれる。
 月夜の帰り、ヘッドライトをキツネが横切った。
 舗道を跳躍し、こちらを正対し、
 また阿弥陀堂の奥へ消えた。
 




2008年 10月 01日

 ■ 秋雨   

 
 不安が形象して秋になる。
 何もかも光薄く透き通る。
 蝉が落ち、栗が落ち、草花が朽ちる。
 山の生き物が朽ちてゆく。
 毎年のことながら、
 定めながら。
 
 現場へ向かう県道沿いを毎日、
 紙袋を下げて往復している半袖半ズボンの老人がいる。
 首を傾げ、ひとりごとを呟きながら、
 黄金色に染まった稲田の景色の中を歩いている。
 どこへゆくのだろう。
 そしてどこへ帰るのだろう。

 その老人も長ズボンになった。
 小雨降る中、傘も差さずに、
 身を傾けて、急ぎ足で歩いてゆく。
 修羅のように、菩薩のように。



(画像付きブログ)
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