【お屋敷の文学:その1】『ミーナの行進(小川洋子)』

Photo by mariannehope

地下の文学 屋根裏の文学ときたら、次はもちろんお屋敷ものでしょう。

お屋敷ものときたら
   大富豪(何せお屋敷だから)
   じいやとメアリー
   厳格な創業者の祖父
   道楽息子
   引き取られたみなしご(実は、、)

   エトセトラ、エトセトラ

考えただけでもわくわくしてしまう。
ディズニーランドのホーンテッドマンションなんてあんな感じだよね

■ 思いつくお屋敷ものはそこそこたくさんあるけど(なのでとりあえず、その1としておく)、真っ先に頭に浮かんだのは、ミーナの行進です。


これも挿絵が素敵。ちゃんと文庫版もハードカバーと同じ絵がカラーで入っている( 「それは既にハードカバーで家にあるだろう!」


■お屋敷というのは当然、お金持ちの一族の住まいである訳だけれど、ここに出てくるミーナの家は、清涼飲料水の会社を経営している。
(なにしろ家に私設の動物園があったという!)

語り手の「私」は、家庭の事情で小学校の1年間だけ親戚のミーナの家に預けられる、という立場。
なのでお屋敷文化の宿命を引き受けるわけではなく、あくまで傍観者としてお屋敷の住人にありがちな風変わりな風習を眺めている。
(という点では、ほんもののお屋敷もの、とはいえないかもしれない。)

■作者の小川洋子さんはおそらく、ミーナの一族の家として、岡山に実在する菓子メーカーのカバヤ食品をイメージしたんだと思う。

ご自身のエッセイとにかく散歩いたしましょうのなかの、“悲哀はお尻の中” にという文章に、その辺りの話がでてくる。 

” 特に私が好きなのは、塩味のプレッツェルの森とジューCと呼ばれる清涼菓子だった。
当時岡山駅のすぐ近くにカバヤの工場があり、高い塀に囲まれた向こう側は、子供にとってお伽話の楽園に等しかった。そのそばを通る時、いつも心の中には、プレッツェルの森とジューC”

ミーナのうちの会社の主力商品はフレッシーという。私はプラッシーのイメージだと思っていたのだが。
(あと、カバヤのさくさくぱんだ、がすき。)

■『ミーナの行進』のなかにも作中話がでてくる。(私、作中話すきなのだろうか?)

ミーナが集める外国製のマッチ箱のなかに、絵に合わせた内容が書かれているというものだ。
マッチ箱のおはなし,は幾つかあって、どれも素敵な話なんだけど、やはり1番心に残るのは最後にミーナの家を出て岡山の家に戻る「私」にあげた、とっておきの箱の話。

それは、

 ” 昔あるところに、死んだらどうなるのか知りたくてたまらない少女がいました。”

という極めて甘美な文章で始まる。

■「私」は、ミーナの家の近くにある芦屋の図書館に(ミーナが読みたい本を借りるために)通い詰めるようになるのだけれど、そこの司書の「とっくりさん」に淡い気持ちを抱く。
今はなき「読書カード」についても素敵なエピソードがある。
最後、芦屋から岡山に帰るので図書カードを返しに来ました、という「私」に「とっくりさん」は言う。

”「これは、返す必要なんかない」
「何の本を読んだかは、どう生きたかの証明でもあるんや。これは、君のもの」”
” あの日、とっくりセーターの青年と約束したとおり、三十年以上たった今でも、私は芦屋市立図書館の貸し出しカードを大事に持っている。
それはすっかり茶色に変色し、角はすり減っているが、芦屋での1年間に借りた、つまりミーナが読んだ本の題名は、まだ消えずに記されている。一番上の『眠れる森の美女』から順番に一つ一つ題名をたどってゆくだけで、その時一緒に過ごしたミーナとの場面が浮かんでくる。秘かにとっくりさんとあだ名をつけた司書の青年と、カウンター越しに交わした会話も、よみがえってくる。『アーサー王と円卓の騎士』『アクロイド殺人事件』『園遊会』『フラニーとゾーイー』『はつ恋』『変身』『阿Q詳伝』『彗星の秘密』...、それらは単なる題名に過ぎないのに,私たちの思い出が不変のものであることを証明するためにの,旗印のように見える。ミーナに会いたくなるといつでも私は、この貸出カードを取り出す。”

(たしかに小学生としては、”ませた” 選書である...)


■この話の最後の1行はちょっと泣けます。


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