見える世界は、「自分は正しかった」と証言する証人である。

私たちが見ている世界は、「自分が正しかった」と証言する証人である。
それは根拠がないものである。
私たちがこの「証言」を訓練したのであり、訓練したその通りの証言が持ち帰られると、私たちはそれに耳を傾け、それが見てきたことは真実だと自分自身に納得させた。これを私たちは自分自身に行なっている。
「見る」とは、その論拠がいかに堂々巡りするだけのものかがわかる。これは神から与えられたものではない。だがこれを私たちは自らと他者に与えている。

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