肉体が「自らや他者を責める」メッセージを発信しているならば、そのメッセージを与えたのは私たちの心なのである。

肉体は感情を持たない。私たちが「望む感情」を肉体は伝えるのみである。
他の中立な構築物と同じように、心が与えたメッセージを受け取るのだ。送り手と受け手は同一である。自我か聖霊かである。
メッセージは自分自身に送れられることにならなら、だれが攻撃のメッセージを送りたいと思うのだろうか。誰かを責め、罪ありとするメッセージを送るならばそれを私たち自身にも受け取ることになる。
肉体が「自らや他者を責める」メッセージを発信しているならば、そのメッセージを与えたのは私たちの心なのである。

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