奇跡は、神の子が「なろうとした自己」を見過ごし、神の子として観る


奇跡は、神の子が「自分でなろうとした自己」ではなく、常にそうであった者として見ることで神の不在性を承認する。
そして奇跡は「無罪性のみがもたらす結果」を与え、これにより無罪性は存在することを証するのである。

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