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「Rutenとは何か?」

「Rutenとは何か?」

この問いほど、今の僕にとって難しいものはない。

少なくとも、「企業」ではない。

「思想」とか

「概念」とか

「倫理」とか

「規範」とか

そういった類のものだとは思う。

あるいは「宗教」みたいなものと近いのかもしれない。

ポジション的には、江戸時代に人々がよりどころにした朱子学に近い。

100年後、1000年後の世界において、

人々がよって立つべき考え方、

心のよりどころ、みたいなものかもしれない。

孔子やブッタやキリストの思想は、

本人たちが死んでから普及した。

Rutenもたぶんそういった類のものだ。

今集まっている創業メンバーが死んでからが、流布されるかの本当の勝負時である。

Rutenというのはそれくらい長期的なものごとのありかたをしている。

「では、そのRutenとはどのような内容物なのか?」

と聞かれると、うまく答えられない。

何時間かかっても説明し尽くすことはできない(今のところ)。

いつかきちんと明文化されるだろう。

一つ確かなことは、それはある意味ではテクノロジーへのアンチテーゼであるということである。

世の中は大きく変わっていく。

シンギュラリティは近い。

世界はテクノロジードリブンで、どんどん新しくなる。

テクノロジーの進化はだれも止められない。

だから、テクノロジーの進化を前提として、

世の中が変わっていくのを前提として、

少しでも「良い」方向に変えていこう!

と思った未来人たちが、

「良い方向とは何か?」

「世界が変わっていく中でどう生きればいいか?」

と悩んだ時に、

彼らの羅針盤となるもの。

道しるべ。

それがRutenである。

Rutenが人々の規範となり、

心のよりどころとなり、

世界を支える。

そして、ある意味では、Rutenは進んでいく時代へのアンチテーゼでもある。

社会が変わっていく方向とは逆の方向に旗印を向ける。

そもそも「Ruten」の語源である「万物流転」は古代ギリシアの哲学者、ヘラクレイトスが発明した言葉だ。

僕らは、古代ギリシアの方向に旗を立てている。

Rutenはある意味では時空間ベクトル上の「過去」に帰ろうとする。

もっと言えば「自然に帰れ」的なニュアンスである。

あらゆるものを手にし無限に便利になる世界に一石を投じ、

テクノロジーに精神を完全に売り渡してしまうことから人々を守る、安全弁的役割を果たす。

かつてルソーの『社会契約論』がそうであったように、

社会を正し、流れを良くする革命における象徴的存在である。

こんな感じで、Rutenというのはかなり抽象度が高い(今のところ)

つかみどころがなく、

腹の足しになるものではない。

かなり意味不明な感じではあるものの、

いまだに全然言語化できないものの、

なぜか「Ruten」ってこういう感じだよね、の

「こういう感じ」は(少なくとも)メンバーたちはきちんと腹落ちして理解している。

(たぶん)だれもちゃんと説明できないけれど、

こういうのがつくりたい

こういう世界にしたい

みたいな、進むべき方向性はみんなちゃんとわかっていて、

一ミリもブレていない。

不思議である。

Rutenとは不思議なものなのである。

とりあえずRuten的活動がこの世界で1000年くらい続くような仕組みを作ることが、僕たちの喫緊の課題だ。

ていうか、それ以外にやるべきことは特にない笑

「イシュードリブン」でも

「ビジョンドリブン」でも

「テクノロジードリブン」でも

「マネードリブン」でも

「本能ドリブン」でもなく、

「思想ドリブン」な人達がもっと増えたら、世界は少し良くなると思うのだけど。

それもまた、エゴイスティックな欲望かしらん。

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