海山きれいでご飯がおいしいは、もう競争力にならない

今日、LINEの広告事業責任者(もうすぐご退任とのこと)の田端さんが、エリア・イノベーション・アライアンスの代表の木下さん(別名:狂犬木下さん)の発言を受け、こんなこと言っていた。

これって、田端さんクラスの人が言っているから、ああ、遠い人が言っているなとか、別の世界の人が言っているな、とか、東京のベンチャーの人は言葉尻が激しいな、とか言っていたら負けだと思う。負けって誰にっていうと自分の未来と住んでいる地域の未来に。

この発言に関してはその通りだなあ、と率直に思った。「素晴らしさ自体が乏しい」というところに。これは、僕自身が地元に対して「素晴らしい!」と思っていないということではない。むしろ地元宮崎県に対して素晴らしすぎると思っている。

一方で、もし宮崎が地元でないとしたら、どう思うかな。たぶん、今は99%以上宮崎県にバイアスかかっているからかもしれなくて、日本で最も素晴らしいのは他の県だな!とか言うかもしれない。実際最近、福岡こそ日本一の街じゃねえかな・・・?とか言ったりしている(それでも、色々差し引いても宮崎県レベル高いけど。家族もいるし)。

それで、いま何が言いたいのかというと、「海山キレイでご飯がおいしい」は競争力にならないのではないかな、ということ。突然ではあるけれど、海山という自然がキレイ、そして地場のご飯が美味しいというのは、日本国という島国ではほとんどの地域でそうであって、むしろ例外を見つけるほうが難しい(全都道府県に行ったことがあるけど、どこもキレイでどこもご飯は美味しいよ)。ただ、そういう発言(「海山キレイでご飯がおいしい」)が施策的に頑張ろうとしている地方から出ることは、全く悪いことではない。ただ、それには絶対的な価値はあるけれど、第三者がとても判断しづらい地元びいきな情緒価値が上乗せされすぎてないかな。

上記、LINEの田端さんの発言は、

東京出身者の言葉であって(田端さんが東京出身かは知らない笑)、

地元がない、という転勤族の子どもの発言であって、

徹底的でリアリスティックな第三者目線。つまり、超冷静でドラスティックで最も貴重な評価だよな、と思う。

その上で「そもそも地方には素晴らしいことを発信できてないのではなく、素晴らしいところが自体がないぞ」と言われているのだから、心から悔しいと思いませんか。当然地方(宮崎)出身というバイアスがかかっている身だから、より一層こんちくしょう、こんちくしょう、こんちくしょうとか思いませんか。僕は思いました。

これを容認しているようじゃあ、いつまでたっても東京を含め都市部に住んでる人が勝ち組で地方に住んでいる人が負け組という構図が暗に成り立つよね。認めればだけども。

冷静に思うのだけど、つまり、地方の意識として重要なのは必要条件の勝負でなく十分条件の勝負でないかなということ。田端さんはその後のツイートで、

必要条件(「海山キレイでご飯がおいしい」)を満たした上で、さらに「ヨソ者に対してオープンでフェアである」と言っている。これが都会だと。

この都会と戦うためには、地方は「ヨソ者に対してオープンでフェアである」ことさえも必要条件としなければならない。その上で日本国民に、地方ごとの十分な条件を模索されていくのだ。いや、もう模索されようとしているのが、人口減社会に多くの人々がリアリティを持ち始めている現代じゃないかな。

さあ、どうする。今から地方が東京含めた都市部だけに人口を集中させないためにはその上で、どんな施策をとればいい?

田端さんみたいな方を含めた有識者が地方やべえな、このままじゃ東京が過疎になっちゃう思われるくらいの、尖った、地理的環境と県民性を活かした本質的な課題が解決できるような、そんな取り組みってなんだろう?

こんなことを考えるとワクワクするなあと思うから地方にUターンしたんだよなあ、といつも思いながら、日々商店街に出社していく毎日です。

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