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感想|『冬の旅』

『冬の旅』(Sans Toit ni Loi, The Vagabond)を菊川の映画館Strangerで見た。

アニエス・ヴァルダ監督・脚本作品(1985年製作/91年公開)。サンドリーヌ・ボネール主演。

冬のある日の早朝。南仏の寂しい畑で、18歳の少女が孤独な旅の果てに野垂れ死んだ。彼女の名前はモナ。海から野原へ。彼女の孤独な旅の様子が、旅路で出会った人々のドキュメンタリー風の証言映像を挟みながら語られる。

「私にはモナが海から来たように思える。」 

ヴァルダによるナレーションが流れ、モナが海から浜辺に上がってくる映像で映画は始まる。まるでボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」のように神々しい姿だが、これは、モナが輝かしい存在として描かれている唯一のシーン。待っているのは悲惨である(悲惨だが、そこに美がないわけではない)。

モナは、寝袋とリュックを背負い、ヒッチハイクの旅をしていた。日雇いの仕事を探しながら流浪を続けている。ガソリンスタンドや元学生運動のリーダーが営む牧場などに寄るが、モナは誰にも心を開かない。

その後も、孤独な旅を続けるモナだったが、樹木の病気の研究をする大学教授や、ブドウ畑で働く季節労働者のチュニジア人、資産家で盲目の老婆など、モナに優しくしてくれる人や彼女が打ち解けられる人々との出逢いもあるのだが、いずれの交流の長続きしない。

次第に荒んでいくモナ。空き家を拠点に窃盗やマリファナの売買を行うグループと行動を共にするようになる。だが、空き家が火事になり、モナは命からがら逃げ出す。

薄汚れ、空腹のままたどり着いたのは、ワインの収穫祭さなかの村だった。ワインをかけ合う祭りの狂乱に突然巻き込まれ、恐怖に怯え、逃げ惑うモナ。ハレとケ。祭りは定住者にとっては楽しい非日常なのかもしれないが、非定住者であるモナにとっては、理解不能なカオスを突きつけられたに等しく、この騒動のあと、心身ともに力尽きたモナは、畑の路傍に倒れ込んで息絶えてしまう。

モナは旅の間ずっと何かへの怒りと孤独を抱えていた。それは、『On the Road』や『奇跡の2000マイル』『Into the Wild』『Paris, Texas』など他のロードムービーの登場人物たちとは比べものにならない、心身を蝕むほどの怒りと孤独だった。

出身地や両親など彼女に関する過去はまったく明かされない(まるで初めからそんなものは無いかのように)。身寄りがなく、社会や他者に対して開かれていないだけではなく、この世界の外側への想像力や直観も希薄だという意味で、超越性からも閉ざれている(『崩壊を加速させよ』参照)。

そんな彼女が生きられる居場所はこの世にはないという監督の判断は、とても痛烈だ(モナに対してより社会に対して)。映画冒頭の海からやってくる神々しい姿と、野垂れ死んだときの荒んだ姿の対照的なあり方を想えば、おそらくモナは、大規模定住や資本主義の限界を超克した未来(あるいは過去)の社会に生まれるはずが、〈神様〉の手違いで、現代(80年代)に生まれてしまった、痛ましい神話的な人物だったのだろう(だからこの作品もただのストーリーではなく神話なのだと思う)。

僕はどうしても、映画『二トラム』の主人公(閉ざされ-超越系の人物だった)と『冬の旅』のモナが出逢える世界線を想像してしまう。

しかも彼女は、定義(理解)されることを一切拒んだまま逝ってしまった。映画公開から30年が経っているが、社会の構造は変わっていない。私たちには問いだけが残された。

役と同じ年齢(18歳)でモナを演じ切ったサンドリーヌ・ボネールの深刻な勇気に拍手を贈りたいと思う(モーリス・ピアラ監督作品『愛の記念に』に出演したときはまだ16歳、同監督の『悪魔の陽の下に』出演時は20歳だった)。

菊川のStrangerは49席のみのミニシアター。オーナーがチケットの販売やドリンクの準備までこなしている、親しみやすく、こじんまりとした雰囲気のいい映画館だ。アニエス・ヴァルダの最高傑作『冬の旅』 - Stranger


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