見出し画像

『壊れたヨーロッパ』を読んで

クルツィオ・マラパルテ 
壊れたヨーロッパ
晶文社 1990
 
Curzio Malaparte
Kaputt 1944
[訳] 古賀裕人
装幀:平野甲賀

 「雪中の道標として立つロシア兵捕虜の屍。氷結した湖面からつきだす馬群の頭部。フィンランドの静寂に狂うドイツ兵。虐殺の夜にふる生ぬるい雨——。戦時特派員としてナチスとともに進軍し、戦いの傷痕を舐めつくした作家が、飢えと憎しみと絶望によって、穢され、腐ったヨーロッパを描きだす。1944年に発表され、全世界を震撼させた幻の名作。」
 
 鎌倉の〈たばら書房〉で買った『出会い』(ミラン・クンデラ・河出書房新社)に、「『壊れたヨーロッパ』によって彼(マラパルテ)は重要な本を書いただけではなく、彼にしか属さないひとつの形式を見つけたのだ。」とあった。
 図書館であらすじを読んだ。小学生の頃に見た『映像の世紀』(NHK)が頭をよぎるも作品世界は遠いものに感じられた。
 あっという間に10年が過ぎた。僕は実家を出て東京に引っ越し、『出会い』は『邂逅』の書名で河出文庫に収められた。
 Instagramを開けばアルジャジーラが、日々最悪を更新していく凄惨な出来事を伝えている。ガザで起きている事態に釘付けになり、心が囚われ、気持ちが沈んだ。
 どうすればいいのかわからないと本に答えを求めているじぶんがいる。『壊れたヨーロッパ』が近しいものに感じられたのは、『パレスチナ問題の展開』(高橋和夫・左右社)や『ガザに地下鉄が走る日』(岡真理・みすず書房)を読んだ前後のことだった。
 反ファシズムのファシストだったマラパルテは、戦場やナチスの晩餐会、ゲットーを見聞できた。彼が選んだ表現形式はルポルタージュではなく小説だった。
 第1章「馬」から「鼠」「犬」「鳥」「トナカイ」「蠅」と生き物の名前を冠した章がつづく。各章は枠物語になっている。場所も時間も異なる複数のエピソードで構成されているのに同じ旋律が流れていると感じられるのは、馬や蝿がモチーフとして繰り返し登場するためだ。
 読んだあと脳裏に浮かぶのは忘れがたかったはずの情景の数々ではなく、ナポリ湾のカプリ島の岬に立つマラパルテ邸(Casa Malaparte)だった。ドローイングに残したくなったのは、暗い美の危険な魅力に眩暈をおぼえたことを忘れないためだったと思う。


マラパルテ邸


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?