幼児イエスが入った風呂の残り湯

幼児イエスもまた、時々お風呂に入らなければならなかった。こんなことは言及するに値しない事実だし、おそらくこのような話に誰も耳を傾けてくれないだろう。だが、ヨーロッパの中世では違っていた。挿絵まで存在する。

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図:Schaffhausen, Stadtbibliothek, Gen. 8, f. 21v – Klosterneuburger Evangelienwerk『クロスターノイブルクの福音物語』オーストリア、1340年頃、www.e-codices.ch/de/list/one/sbs/0008

聖家族(幼児イエス、母マリア、父ヨセフの三人家族)は、エジプトへ逃亡する途中、ある宿に泊まることにした。挿絵にあるように、幼児イエスは、その宿の前に置いてある小さい桶の中に座っており、水浴びをしている。左側には、宿の主人夫婦と息子がいる。右側には、マリア、ヨセフ、ヨセフの他の子供たち、そしてロバと牛。ロバにはマリアが乗ってきたが、ロバと一緒にイエスの誕生を見守った牛も、エジプトへの逃亡に同行しているようだ。おそらく一人ぼっちでベツレヘムの馬小屋に残るのはいやだったからだろう。ヨセフはヨーロッパ中世の慣例通り老人として描かれており、イエス以外の若者はヨセフの初婚の子供で、腹違いの兄弟姉妹と見なされた。

数多くの幼児とは異なり、幼児イエスは明らかに入浴することが大好きで、石鹸も嫌がらなかった。入浴できた喜びのあまり、激しく両手でバシャバシャして泡を立たせた。

風呂を用意してくれた女主人は、左手に小さな陶製の壺を持ち、右手を桶の方へ伸ばしている。壺からバスソルトなどを取り、水に入れるかのようだが、実は違う。できた泡をすくって空の壺に入れるために、桶に向かって手を伸ばしているのだ。泡の使い道に関しては文中の説明の他、装飾写本を三頁めくったところに以下の挿絵がある。しかし、宿の主人の左手もヒントになる。左手で息子を指さし、泡を彼に渡すよう求めている身振りなのだ。

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図:Schaffhausen, Stadtbibliothek, Gen. 8, f. 24v – Klosterneuburger Evangelienwerk『クロスターノイブルクの福音物語』オーストリア、1340年頃、www.e-codices.ch/de/list/one/sbs/0008

絵の真ん中にいる女性は、重傷を負った男性を見かけ、途方に暮れて髪の毛をかきむしる。その女性とは、イエスを風呂に入れた女主人であり、怪我をした男は宿の主人である。実は、彼は本業のかたわらにリスキーな副業にも励んでいた。追い剥ぎをしていたのである。しかし、今回の襲撃は上手くいかず、強奪の対象となった商人たちは強く反撃した。結局、追い剥ぎは打ちのめされ、仲間の何人かは殺されてしまい、宿の主人も危うく命を落としそうになった。運よく仲間の助けを得て帰宅できた。それから女主人は、壺に入った泡を傷口に塗り、直ぐに傷が完全に治った。つまり彼女は、イエスが立てた泡を薬として取っておいたのだ。

追い剥ぎを働く者は罰せられて当然なのに、この宿の主人兼追い剥ぎは、貴重な泡の薬で治療を受けるに値するだろうか。値する、と即答する人は皆無ではなかろうか。むしろ殆どの人は値しないと言うのではなかろうか。

ひょっとすると、この主人兼追い剥ぎは、躊躇することなく聖家族を受け入れ、豪勢にもてなしてあげたので、治癒の恩恵を受けることができたのかもしれない。つまり、誰であろうと、善行を行い、天に富みを積むこと(マタイ6:20)のできない人はおらず、追い剥ぎでさえ善行を行うことができると、この話は言おうとしているのかもしれない。

このエピソードの原形は、5世紀頃にできた『アラビア語によるイエスの幼時福音』に遡る。17章では、幼児イエスが入った風呂の残り湯が、皮膚病を直す薬として使われていたと書いてある。いつの時代から残り湯でなく、泡が薬になったか分からないが、綺麗な泡を立てる石鹸ができた時かもしれない。主人に関する情報はもともとはなく、彼が追い剥ぎだったことも後から追加された要素だ。

次の挿絵も同じ話に基づいてできた。しかし、ゲッティ・アーカイブの説明文とは異なり、残り湯で治療を求める重傷を負った二人は、追い剥ぎに襲われた商人(robbed merchants)でなく、帰宅した追い剥ぎ(robber)本人とその仲間である。

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図:“Jesus Healing the Wounds of the Robbed Merchants”、 Ms. 33, fol. 250、『主イエス物語』1400-1410年頃, The J. Paul Getty Museum, Los Angeles, www.getty.edu/art/collection/objects/2031/

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