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シティポップ大全 #6

☆風になれるなら : 伊藤銀次 1977

一昨年10月に松任谷由実の旦那さんの松任谷正隆が初とも言える自伝を書いた。
過去は余り振り返りたくないからこれ一回こっきりと書いてあったが自伝を2回出版する人はそうはいない(^。^)
昨年四月には大滝詠一の初めてのビジネスパーソン伊藤銀次が自伝を出した。
大滝さんに関する貴重なエピソードがあり楽しめた。
大滝さんが伊藤の特性を知ってて手伝わせた仕事の話などは…ちょっと盛ってる?って位に神懸かってなくもないがやはり自分をいの一番に引き抜いてくれた人であり単なる声掛けだけだったら感謝と言う点には到達しなかったで有ろう。
その先、厳しくも真面目に育ててくれた、この業界で何とか生きていけるだけの指南はしてくれた…そうなると師匠と呼んでも余りあるようだ。
伊藤は一般的には余り認知度はないが、若き日はセッションギタリストから事務所の電話番まで貪欲に仕事をこなしたようだ。
伊藤は大阪で結成したごまのはえと言うバンドをやっていて大滝に見染められた。
大滝に呼ばれて関東に行くか否か迷っていた時、大阪で終わるならローカルバンド止まり、
こっちにくるなら頂点を目指すつもりで来い!と言われた。
大滝のレコーディングのバックミュージシャンなど初期の大滝のソロ活動によく名前が出てくるが伊藤の大滝への功績は大滝と山下達郎の出会いの仲介役を担った事、又大滝に「日本の喜劇人」などの小林信彦の著作を紹介してクレイジーキャッツに目覚めさせる端緒を作ったことで有ろう。
伊藤はその後、大滝の元を離れてバイバイセッションバンドに加入、りりぃのバックバンドとして活躍するがこのメンバーに坂本龍一やベーシストの吉田健、ドラマーの上原裕など大滝のレコーディングセッションのブッキングが後に実現する。
それが1976年の「ナイアガラトライアングル」だった。
このアルバムの話はナイアガラの小稿で書いた。

その後、漸くソロアルバムをリリースするが伊藤の初のソロアルバム「Deadly Drive」に収録された筆峰1曲目♫風になれるなら はシュガーベイブ時代に一緒だったター坊こと大貫妙子のウィンディボイスなコーラスが正に風を見事に表現していて心地いい。

伊藤のその後の活躍は音楽クリエーター、或いはプロデューサーとしてウルフルズを世に送り出したこと。
そして、お昼の定番だったCX系バラエティ「笑っていいとも」のテーマソング♫ウキウキウォッチング の作曲者と言うこれだけでも立派な功績だと思う。

伊藤のアルバムを全て聴いたわけではないけれど彼には普遍的なポップスを書けるセンスはある。
「ナイアガラトライアングル」でシングルカットされた♫幸せにさよなら や今日紹介する♫風になれるなら も然り。
又、山下達郎のシュガーベイブに一時的に参加していた時代の楽曲♫Down Town や♫SHOW
と言った楽曲のサビの部分の作曲と作詞者としてはとてもいい線を行っていた。
最終的には山下から三下り半を下されてしまうが、ソロアルバムを聴いた限りではキラっと光る楽曲はある。

大滝は伊藤のそう言ったポップス作家としての才能を見抜いていたのだと思う。

本日お送りする♫風になれるなら はシングルバージョン。
 アルバムのものとは微妙にアレンジを変えている。

 シティポップ黎明期の頃の一曲、♫風になれるなら を聴いてDown Townへ繰り出そう!

https://youtu.be/6TO55EfkuZQ

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