活かされてきたからこそ
こんにちは。
立命館大学総合心理学部3回生の、、、
いや、 常に全力100% “Never give up” 宮島裕です!
コロナ疲れに悩む人もいると思いますが、そんな時こそ立命館大学体育会サッカー部員の思いがこもったブログを読んで、盛り上がっていきましょう。
初めてのブログですが、私も自分の思いを全力で書かせてもらいました。
最後まで読んで頂けると嬉しいです。
進学するにつれて、サッカーから離れていく人を多く見てきた。そういった中で、「自分はなぜここまでサッカーを続けてこられたのか」について考えてみた。
サッカーというスポーツが素直に好きだから。辛いことも多いけれど、試合が終わるとまだやれる、もっと楽しめると思ってしまうから。勝ちたい相手がいるから。
様々な経験をしてきたからこそ、思うことは沢山ある。だが、
「周りに活かされてきたから」 これが自分の中での答えだと思う。
私はサッカーのプレースタイルもピッチ外でのキャラクターも「周りに活かされる」ことで力を発揮することが出来ていると自覚している。
皆さんいつもありがとうございます!
活かされるとは、自分の持っている能力を十分に発揮させてもらうこと。
これが、サッカーをする上で、私が一番重要にしていることである。
チームメイト、サポートしてくれる方々、家族の支えがなければ、自分の強みを見出すことも、発揮することも出来ていない。恵まれた環境でサッカーをし続けられていることに感謝しなければいけない。このことに気付くまでにとても長い時間がかかった。
高校時代、名古屋グランパスユースの監督に
「お前は周りを使う選手じゃない、使われる選手だ。
出して動き続けろ。動けばボールはまた戻ってくる。」と言われた。
最初は、使われるということが自分の中でしっくりこなかった。
まず、使われるってどういうことなんだと考えさせられた。
密かに周りを使う選手になりたいと思ったりもしていた。
その違和感が拭えないまま時間だけが経ち、何をしても上手くいかなくなり、自分でなんとかしようと苦しんだ。スタメンからも外され、サッカーを楽しめない時期も経験した。
そこまで追い込まれてからやっと、使われることは周りに活かされることなんだと気付くことが出来た。
「周りに活かされること=周りから求められること」
その頃から、私はそう感じるようになった。求められたことに応えるということは、誰もがそう簡単にできることではない。活かされることの意味を分かっていなければ、求め続けられることはない絶対にない。
自分の中でそう決めて、プレーをするようになってから、周りが見え始め選択肢が広がった。サッカーをまた楽しむことができた。
サッカーは、何かをして欲しいと思うからパスを選択する。求められたことのそれ以上が常にできる選手がいたとしたら、、、誰もが使いたいと思うはず。
そういった周りから求められ、活かされる選手像が自分の軸になったからこそ、サッカーをここまで続けてこられたのだと思う。
しかし、この先ずっとこのままでいいとは思っていない。
「自分で自分を活かす」ことが出来るようにならなければいけないと思っている。
これまで私を活かしてくれていた人が、この先ずっと近くにいてくれるわけではない。自分で、自分の道を切り開いていかなければならない。
まだ明確な考えがあるわけではないが、自分発信の行動や発言が、周囲の環境を整え、能力を発揮するための支えになっていくのではないだろうか。
どんな人からも、どんな状況だったとしても求められる人間になりたい。
今の私には自分を活かすことのできる力はない。簡単ではないかもしれないが、その力を身につけるためにも、努力をし続けていく。
立命館大学体育会サッカー部で活動できるのはあと一年半。
どこまで出来るかわからないがチャレンジしていこうと思う。
自分で何かしてみたいという主張が自分自身を変えていく、その思いが自分自身を成長させていく。
これだけは絶対に、自分の軸としてブラさないで持ち続けたい。
これからはもっと自分自身に夢中になりたい。
そんな宮島裕のお話しでした。どうでしたでしょうか?
もし、いいなと思われた方は、立命館大学体育会サッカー部の応援とフォローをよろしくお願いしますね!
ではまたお会いしましょう。失礼します~