やり直したいと思わないサッカー人生に。 徳束颯
こうたろうからバトン受けました。
産業社会学部の徳 束颯です。
ダンスの件は無かったことでお願いします!
今、思うことをそのままぶつけたいと思います。
自分自身の小一から始めたサッカーにおける12年間を振り返りたいと思います。
小学校は地元のクラブチーム、「山田くらぶ」に所属し、チームではいわゆる王様キャラ。味方がミスをすれば怒るが、自分がミスをしても何事もないようにする。典型的な井の中の蛙状態。トレセンに入ってはコーチに怒られ、大阪府トレセンには入ることすら出来なかった。しかし、自分は上手いと思い続けた。その矢先に起きたのがガンバジュニアユースセレクション一次試験落ちだった。一晩泣いた記憶がある。そこから大まかに自分の実力を理解出来たと思う。周りに負けないために公園にマーカーを置いてひたすらドリブル。近くにあった大きい公園の外周を走りまくった。
それが実ったのか、最後の最後で大阪の名門であった千里丘FCが自分を拾ってくれた。
決して期待の新人っていうわけではなかった。周りには小学校の時から名を馳せる選手ばかりで戸惑うこともあった。そこで考えたのは「1番頑張る」ということ。必死で武器を磨いた。練習前、アピールするためグランド周りをチームメイトと走った。3年間ある程度試合に出続けられた自分に思いもよらない話が耳に入った。
これまで無縁だったJ下部組織からのオファー。
驚きよりも不思議な感覚であった。「こんなおれに?」という感覚。施設、環境、学校、何から何までトップクラスだった。これまでプレーしたことない代表クラスの選手ともプレーできることに迷わず進路を決めた。
高校の3年間は自分にとって悔しさしかない。
公式戦に絡んだ数も数えれるほど。自分自身の持ち味であるプレーも表現できず3年間が終わった。オファーしていただいた部長さんにもスタッフ、友人、家族にも申し訳ないと心から思った。
明らかに自分のサッカーに対する自信が無くなっていた日々であった。先輩や監督から怒られるのが怖く自分のプレーとは程遠い、いわゆる「逃げのプレー」を繰り返し、挑戦する気持ち、甘え、中学校のモットーであった「1番頑張る」はどこかに消えていた。
中でも1番後悔しているのが、高3での大怪我の時。
治ったら出させてもらえるだろうという甘い考え。悔しさ、仲間が日に日に成長していく姿を見て焦り、リハビリに集中できず放棄してしまった日もあった。
応援してくれたファンの方、友人に心の底から感謝しているのか?と当時の自分に言いつけたい。高校時代自分自身が上手いと思ったことは一度も無かった。しかし、3年間を通し「いつか出れるんじゃないか。」と思っていた。そんな甘い気持ちがプロどころかスタメンにすら選ばれなかった一つの原因だと自覚している。
大学に入った時、2度目の大きな怪我に遭い自粛期間をリハビリをして過ごした。リハビリをしながら、
「もし大学でプロになれずサッカーを辞めるなら復帰後何をすることが1番後悔が残らないか」ということを考え始めた。膝の限界が近いと考えたからかもしれない。
・先輩、監督、周りにの目を気にせず自分自身のプレーをする。
・この世で甘えなど通用しない。日々の練習を100%の状態でプレーし100%やり切る。
・やれることは全て行う。
もう、高校時代のようにやり直したいと思うようなサッカー人生を二度と送りたくない。やるべきことをやってそれでも結果が出なかったらそこまでのクオリティの選手だったと諦めがつく。そのくらいまで思えるほどサッカーを良い意味で楽しみたい。走れる健康な足である限り。
自分の中でプロになるラストチャンス。全人生をかけて頑張りたい。
明日は華麗なテクニックと甘いマスクで相手を翻弄する長元まなむくん!よろしくお願いします!
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