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普段ケラケラ笑ってますが、地獄でした。 佐藤旭

こんばんは。

ある時は、今はない(泣)バイクで豪快にこけてメンタルずたぼろだった時、先輩が後ろから来ているのが見えて助けてもらえると思ったら、爆笑しながら通過され、ある時は、先輩が車の中で女の人とキスをしている瞬間を目撃してしまい、そのあと先輩と目があってどうしたらいいかわからず空を見上げることしかできなかった立命館大学サッカー部4回生の佐藤旭です。

今回は、僕が立命館大学体育会サッカー部でも珍しい理系出身(情報理工学部)ということで理系学生の日常と何を思ったかについて書きたいと思います。言葉足らずのところもありますが、最後までお読みいただけると嬉しいです。

**結論から言うと理系はマジで地獄です。 **

何が地獄かと言いますと

・「こんなんだれがわかるねん」と言いたくなる数学

・授業終わりの小テストが期末テスト並みに難しい

・見ただけでお腹が痛くなるプログラミングの課題

など例を挙げるときりがありません。
さらに僕は、教員免許も取得していたため、プログラミングの課題が人の倍あり、また人より多くの授業がありました。

火曜日なんて生きた心地がしませんでした。
重すぎるまぶたをなんとかこじ開け、レッドブル片手に耐え続けました。

4回生になった現在は、研究計画書の作成のため週2回の教授面談、関連論文を読む作業に追われています。

情報に全く興味がなく知識0の僕には完全にキャパオーバーでした。

教員免許のカリキュラムの関係で下回生の授業に混じることも多々ありました。
周りは、プログラミングが得意な人ばかりで僕はいつも遅れていました。僕は、プライドを捨て下回生たちに質問をしまくっていました。ある日、いつものように質問をしていると
「お前答えしか聞かへんやん。仕組みを理解せんからいつまでたってもできへんのやろ。」
と怒られ目の前がにじんだこともありました。

情報理工学部の授業は何があっても課題を期日までに提出しないと単位がもらえません。

課題を完成するためにOFFの日はアメフトの友達(3年間一緒に戦い続けた戦友)と一緒に教授の部屋に行き一から十まで教えてもらいました。

全くわからない授業に関しては、教授の懐に入ることだけを意識していました。(高校で培ったスキルです。監督の前だけスライディングをしていたのが懐かしいです。)

普段は、図書館で参考書を何冊も借りオール覚悟で課題に取り組んでいました。

期末テストのシーズンになると寝袋をもって研究室に行き泊まり込みで友達と勉強してました。

本当に地獄のような3年間でした。
ですがずっと一緒にいた(授業以外)愛媛の田舎者がいつも僕を笑かしてくれたので楽しかった思い出もたくさんあります。

本人にはなかなか言えませんが感謝してます。(勉強面での活躍は全くありませんでしたが。)

プログラミングの課題、数学のレポート、わけわからんテスト、ありとあらゆるストレスから解放され愛媛という田舎を走り回るI・Sさん









期末テスト持ち込みありと聞いてありとあらゆるレジメを印刷したI・Sさん


何度も言うように本当に地獄の3年間でしたが、身についた知識や考え方は計り知れません。

最初のころは苦痛で仕方なく転部することだけを考えていました。ですが全く情報に興味になかった僕が少しずつ理解を深めていく中で情報の面白さに気づき、いつの間にか将来は情報を武器にした仕事をしたいと思うようになりました。今は情報に可能性しか見えません。
(周りからは散々馬鹿にされますが笑)

多分、僕がこう思うようになったのは

・恵まれた環境

**・巡り合った人 **

が自分を変えてくれたからだと思います。
サッカー部においても学部においても同じでした。
なぜこう思ったかについては最後の卒業ブログで存分に書きたいと思います。

現在言えることとしては、確実に今の自分があるのは、こんな僕にも親切にいろんなことを教えてくださった方や気にかけてくださった方、環境を提供してくださった方、一緒に頑張ってくれた方がいるからです。

本当に感謝しています。ありがとうございます。

体育会でも珍しい理系出身ということで理系学生の生態について書いてみました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

P.S.僕は、工業高校出身ということもあり

・ガソリンスタンドを一人で経営できる。
・タンクローリーを運転できる。

上記の免許を持っています。
将来ガソリンスタンドの経営を考えてる方はご連絡ください。相談乗ります。