中途半端 田中康汰朗
田中航太郎から紹介がありました、もう一人のタナカコウタロウこと日本大学第二高等学校出身、スポーツ健康科学部の田中康汰朗です。
新入生ブログが始まってからみんなのブログを読んできましたが、自分よりも目標や意識の高い人達ばかりで正直どうしようかとずっと考えていました。自分もかっこいいエピソードを書こうと思ったのですが全くなかったので、今回はこれまでの僕とこれからの意気込みについてお話ししたいと思います。
拙い文章ですが最後まで読んでいただけると幸いです。
僕は小さい頃、水泳・そろばん・ピアノ・体操・サッカーといった習い事に行っていました。学校では、習い事に行っていない子よりは比較的なんでも出来る方だったので、自分では満足していました。しかし、周りには水泳や体操の選手コースで練習する子や3級・2級に合格する子、難易度の高い曲を弾く子など僕の周りには自分よりもレベルの高い子がたくさんいました。
「凄いやつもいるんだなぁ。」と、当時はそう思っていました。
中学校ではサッカー部に入りました。それまで週1の1時間しか練習していなかった僕にとって、週6の活動はとても魅力的でした。しかし、練習は今でも思い出すようなとても辛くハードなものでした。1年生の時は、毎日のように練習に行きたくない気持ちを奮い立たせて参加していました。しかし、練習とは別に朝練をしている先輩がいました。
「あの先輩は熱心だなぁ。」と、そう思っていました。
高校でもサッカー部に入り、1年生の時から試合に出させてもらっていました。同期もたくさん出場していて、「僕たちの代は強い。」そう思っていました。それからの練習はずっとこなす程度にしかしませんでした。案の定、結果は全く出ず、高校3年生の春、僕はサッカー部を引退しました。
その後、僕は受験の道を選びました。付属校なのでそのまま大学に上がる選択肢もありました。それでも、受験の道を選びました。どうしてかと問われたら、変なプライドがその時にはあったと答えると思います。「そのままエスカレーターで上がるのは負けでしょ、超一流の大学なら別だけど。」そんな雰囲気が学校の一部ではありました。僕もそう思っていました。「多分なんとかなるでしょ。」と思いながら勉強していました。
受験が終わり、高校を卒業し、周りには僕が目標とする大学に進学する者もいました。僕はというと結果得られず浪人することになりました。それからの1年間は本当に長く感じました。勉強をすることよりも、周りの友人がそれぞれの道を歩んでいく姿を見るのがとても辛かったです。自分はなぜ机に向かっているのか、毎日ように考えていました。後から考えると、「とりあえず勉強しまくって受かってから考えろ、考える順番が違うだろ」と言うと思います。しかし、自分の中では何かやりきれない気持ちがありました。そして僕は立命館大学に進学しました。
これまで僕の人生を振り返ってみて気づいたことがあります。
「全部、中途半端」
これまでの人生で、何かに全力で取り組んだこと、死ぬ気で取り組んだことは何一つありませんでした。
そして、今まで出会った「凄い人達」は何かを犠牲にしているということに初めて気がつきました。
「友達と遊ぶ時間や家での時間、学校にいる時間も普通の人と同じ時間の使い方をしていたらあんなに強くレベルの高い人間にはなれない。」
そう考えるようになった僕は、「このまま中途半端に終わる人生はつまらない。」と思うようになりました。
「自分の限界まで頑張ろう」
そう決心しました。
この時から僕は、自分が後悔しない道を選んでいます。
これからどうなるかは僕にはわかりません。しかし、それも人生の楽しみの一つではないのかと思います。どうなるか考えるよりも今自分がしたいこと、必要なことは何なのか考える。目の前のことに全力で取り組む。
みんなから遅れた分をこれから取り戻したいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
明日は、とくつかさダンスでお馴染みの徳束颯くんです!
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