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継続は力なり 三田尻和哉

こんばんは。産業社会学部4回生の三田尻和哉です。
読みづらい文章だと思いますが、最後まで読んで頂けたら嬉しいです。

 早いもので気づけばもう大学生活4年目に入りました。高校生の時も早いと感じましたが、大学はさらに早く感じてます。それは充実感なのか、将来への焦りからなのか。いずれにしても時間が過ぎるのはすごく早いです。

 立命館大学のサッカー部は、マネージャーや学生トレーナーを除くと、監督とトレーナーとスタッフは2人しかいません。
さらに、「選手主体」で活動しているため基本的に練習メニューは自分達で考えています。
あえて悪く言うと監督は見ているだけで、練習メニューで上手くいかない事などは自分達で「どうすればいいか」を考える。
(※あくまでチームとしてやる事は決まっています。)

 1回生の時は、その環境に驚きはあったけど「これからやってやろう」と言う気持ちから、その環境に対してなにも思いませんでした。

 2回生になると「コーチを増やしてプレーを見てもらいたい」、「ちゃんと評価してほしい」、「監督1人で全プレーヤーを平等に見れるの?」、「監督から指導をもっと増やしてほしい」と言うような不満が自分のなかで出てきました。
 
この不満はチームや監督といった、自分以外のモノに対してベクトルを向けたモノでした。しかし、いくら文句や不満を持っていても環境は変化しませんでした。環境に順応して「自分で打開しないといけないんだ」とここで初めて「どうすればいいか」を考えることができました。

 それから3回生になり、リーグ戦前期全ての試合メンバー外という状況でした。今までだったらすぐに人のせいにしていましたが、そうではなく、自分自身にベクトルを向けることによって向上心を持ち、腐らずに努力し続けることができました。その結果、後期はほとんど試合に絡むことが出来ました。しかし、私のなかでは試合に絡む事ではなくて、努力を継続できたこと。そして、それが結果に結びついたことの喜びの方が大きかったと思います。

 立命館大学は「選手主体」です。だからこそ、この環境に順応して、どうすればいいのかを自分で考え行動する力を「継続」することができるようになった思います。
 
 コロナで自粛しているこの瞬間も時間は流れています。自粛することはコロナの収束のための手段ですが、家で何もしない時間は勿体ないと思いませんか、私の場合はサッカーが1つのきっかけとなって「継続」することが出来ました。読んでくれた皆さんも、少しでも成長するために何をすべきか考えて挑戦し、それを継続してみてください。

4回生のみんなへ
 大学生活最後の年にコロナでサッカーが出来なかったり、学校に行けなかったりするこの状況を経験できているのは私たちしかいません。「コロナがなかったら気づけなかったこと」、「成長できなかったこと」、「この期間だから出来ること」が必ずあると思います。コロナが収束した後、その力を存分に発揮してチームに還元できるように頑張りましょう。

最後まで読んで頂きありがとうございました。