結局カネコアヤノの話をしただけだった

その人のおかげでカネコアヤノを知った。
結局それだけだった。

好きだと言った私に、多分すぐ忘れるよと言った彼に何があったのかさえ知らなかった。過去を何も知らないのに、彼のことを好きになれたのは多分、全面的に私のエゴだった。ずっとエゴでしかなかった。その言葉のお返しに、多分一生好きですと言った私の気持ちはいま正規ルートを辿って成仏しつつある。

ずっと擦っている話がある。私には好きな人がいて、何度もいろんな話をした。その人が好きだと言ったアーティストはもれなく聴いたし、好きになれたものも好きになれなかったものもあったけど、この先2、3年の未来の上で私は中村佳穂とカネコアヤノとD.A.N.を聴くとその人のことをうっすらと思い出すのかもしれないと思った。

不思議と歴代好きだった人を軽々超えるくらいには私はその人を好きになった。好きな気持ちは神経症に似ていた。ノイローゼになりそうなくらいだった。おそらく世界でだれにも理解されないと思っていた自分の病的な不安感を20年の人生の中で唯一その人だけが、深くまで、また極めて高い整合性で、見抜いてくれた気がした。なんとなく直感で、本当に感覚で、その人とすごく近いような気がした。限りなく続くと錯覚するほどには平坦で先の見えないこの生活の何に怯えていて、このルーティン上の粗末で些細なものの中の何を拾い上げて好きと思うかとか、人生のあらゆる選択においてどんな温度感で向き合っているかとかも、何となくすごく近い気がした。惑星に例えるなら多分同じ星の人だと思った。今思えば、私の強い思い込みとエゴでしかなかった。その人はただ正解を知っていて、それをなぞるように答えていただけだったと思うから。

多分最初から最後まで少しヘンテコだった。付き合ってもないのに旅行に行ったし、それどころか(したがって?)行った先で何も無かった。その謎の旅行では海に行った。思いつきで8時間くらいかけて車で行ったから初夏なのに着いた頃には日が暮れていたし、夜の海は黒々していて本当に怖かった。その浜辺にある恋人の聖地にも行った。彼が立ち入り禁止の小さな灯台に登って、私も続いて後に登ったあの時、私が何の前触れもなくその太平洋の水平線の見える黒い波に飛び込んで消えていったら、どうにかその人の人生の一部になれていただろうかと未だに思った。

その旅行で、私のことを代名詞で友達、友達と何度もまるで関係性を定義するように、また断じて超えられない線を教えるように呼ぶ彼の横顔を横目で見て、私は本当に、本当に友達としか思われていないこと(または、友達にしかしないという強い意志)になんとなく失望して、その見る限り太く黒い平行線らしき先を思いやるとさよならするしかなかったと今正当化している。私が一方的でずっと自分勝手だったのは悔やまれるところだと思うけど、旅行中カーステレオから流れる「ごめんね」を聴いてサビを小さく口ずさんだ彼の目がどこかすごく無機質で冷たく見えたのは決して間違った感覚では無かったと思った。

最近映画を観た。そこにカネコアヤノが出演していたことも、主題歌が退屈な日々にさようならをだったことも、またカネコアヤノの挿入歌も、その映画の感想も、考察も、総じて私が考えたことも、少し誰に言えばいいのかわからなくなった。その人があたかもまだ私の人間関係の図表の上に存在しているような気になって、何故か不思議だった。

もうすぐ私の誕生日だ。目前にしている21歳は子供の頃思い描いていたよりよっぽどに幼いし、弱かった。なぜなら私は彼から誕生日にラインのメッセージ一通でも来ることをまだ少しだけどこかで期待しているのだから。

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