【歌詞批評】異なる世界線: Official髭男dism『Pretender』/竹内まりや『純愛ラプソディ』

 Official髭男dismの「Pretender」と、竹内まりやの「純愛ラプソディ」は、片思いにおける恋愛感情と苦悩を美しく表現している。

 「いざ始まれば ひとり芝居だ
ずっとそばにいたって 結局ただの観客だ」

 「ひとり芝居」の主役でありながら、結局はただの「観客」でしかないという悲哀に満ちた表現である。「ひとり芝居」はフィクションを示し、「観客」はただ見ているだけの存在であることを強調している。彼の心情の複雑さと失恋への道の悲劇性を巧妙に描き出している。

 また、詩中で繰り返される

「もっと違う設定で  もっと違う関係で
出会える世界線  選べたらよかった」

 主人公の無力感と理想への憧れを象徴する。現実の自身と理想の自身、現実と理想の恋愛関係のギャップによる痛みが強く描かれている。

そして、「たったひとつ確かなことがあるとすれば 君は綺麗だ」という結びの言葉は、片想いの苦悩の中でも「君は綺麗だ」という肯定的な着地を示している。これは、純粋な感情を感じさせる一節です。

 「純愛ラプソディ」では、「Pretender 」の似た比喩が使用される。

「脇役しかもらえなくて
セリフはいつでもひとり言」

 恋愛の舞台で主役になれないという悔しさを強く伝えている。「いつでもひとり言」からは、近くにいながら遠くにいる孤独感が感じられる。
 また、「遅すぎためぐり逢い」に苦しむ主人公の姿からは、もっと違うタイミングであればという後悔が滲み出ている。

 「二度と会えないふたりでも
 胸の中で生き続ける」

 これは、不倫の痛みを抱えながらも、その記憶が心の中で大切にされていることを意味し、温かさが感じられる。

 この両曲は、共に片思いの恋愛の中で経験する感情の深さと複雑さを見事に描き出している。

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