【比較】他者理解の困難へのアプローチ: 映画『怪物』/映画『ドライブ・マイ・カー』/音楽Mr.Children『ファスナー』

 映画「怪物」(2023)は、他者理解について描いている。この作品を観て、他者理解について興味をもった方には、映画「ドライブ・マイ・カー」(2022)、Mr.Childrenの楽曲「ファスナー」(収録アルバム「It's a wonderful world」(2002))、の2つの作品の鑑賞を薦めたい。
 その理由は、他者理解の困難に対峙するための各作品のアプローチを比較し、鑑賞後の実生活における他者理解に活かすことができると考えるからである。
 では、それぞれの作品が他者理解の困難にどのようなアプローチをとるのか見ていく。

 まず、映画「怪物」について見ていく。

 この作品の中では、他者理解の困難を乗り越えるための方法は、対話であることが示されている。

 対話とは、相手の話を聴く、質問をする、想像することである。それは作品内に出てくる「かいぶつだーれだ」のオリジナルのゲームに示されている。
 このゲームは、自分には見えないカードの特徴を相手に話してもらい聴く、質問をする、想像する、そしてカードに描いてある怪物を当てる、というものである。また逆も然り、相手には見えないカードの特徴を自分の話を聴いてもらい、相手の質問に答えて、想像してもらう。
 カードに描いてある怪物、この映画のタイトルにもなっている「怪物」のメタファーが示すものは、見えない他人を簡単に見落としてしまう人間のことであろう。
 性格、価値観、環境の異なる他人を理解することは難しい。ただし理解しようと歩み寄ることは可能であり、それには対話が必要である。この映画には、このようなメッセージが含まれていると言える。

 次に、映画「ドライブ・マイ・カー」。
 この作品の中では、他者理解の困難に対峙するためのアプローチは、深い自己理解であることが示されている。

 それは家福に向けられた高槻の台詞から明らかである。


「どれだけ理解し合っていると思っている相手も、他人の心をそっくり覗き込むなんて無理です。結局のところ僕らがやらなくちゃならないのは、自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことではないでしょうか。本当に他人を見たいと望むなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです。」


 この台詞は、自分と他者との間に存在する隔たりを埋めるための努力がしばしば無力であることを示唆している。また同時に、他者理解への道は深い自己理解であることを明示している。

 最後に、Mr.Childrenの楽曲「ファスナー」を見ていく。

 この歌詞の中では、理解することだけが他者への愛ではない、ということが示されている。
 他人の全てを理解することはできない事実を受け入れ、それに対して感じる孤独を自己の内部に保持し、愛を続ける道を選ぶ。


「君の背中にもファスナーが付いていて
僕の手の届かない闇の中で
違う顔を誰かに見せているんだろう」


 この部分では、他者の全貌を理解することの難しさを示している。ファスナーの内側は、人間の内面や秘密を暗示する。相手が隠している部分に触れることのできない孤独感と、その理解不能な部分への違和感が、独特のメタファーを通じて鮮やかに表現されている。他人の背中につけられたこの開けられないファスナーは、他人の心の奥深くにある感情や思考に触れることの難しさを物語っている。


「君の背中にはファスナーが付いていて
僕にそれを剥がし取る術はなくても
記憶の中焼き付けて
そっと胸のファスナーに閉じ込めるんだ」


 このフレーズでは、恋人との葛藤の結末を描く。愛する相手の全てを理解し、把握することはできないとしても、その人を愛し続けるという選択が示されている。それは自分自身の内面に、相手が隠している部分に触れることのできない孤独感や、理解できない違和感を保管するというメタファーでもある。

「惜しみない敬意と愛を込めてファスナーを」

 この結びのフレーズは、その選択の結果を力強く表現する。愛と尊敬の感情を持って相手を受け入れるという、「ファスナー」の象徴する意味を明示している。

 「ファスナー」は他者理解の限界を緻密に描き出している楽曲である。それは愛するということが必ずしも理解することとは限らない、というメッセージを含んでいる。
 歌詞全体を通して、自分と他者との間に存在する見えない「ファスナー」、つまり理解しようとする力と理解できないものを受け入れる力の微妙なバランスについて考察している。



 各作品を見てきた。それぞれが示す他者理解の困難へのアプローチは異なる。

 映画「怪物」は、対話であることを示す。
 映画「ドライブ・マイ・カー」は、深い自己理解を強調する。
 Mr.Childrenの「ファスナー」は、他人の全てを理解できないという事実を受け入れ、それに対する孤独感や違和感を自己の内面に保持し、愛を続けることを示す。

 これらの違いは、相手を理解しようとする努力と、理解できない部分を受け入れることのバランスをどう取るかという個々の視点からきている。
 どの視点にも価値があり、相補的な関係にあると言えるだろう。
 日常生活における他者理解は、高まる多様性や複雑な人間関係を円滑にする鍵となっている。

 これらの作品から、日常の中で他者との関係をより豊かにするためのヒントを得ることができる。その学びは、職場や家庭、友人との関係で直面する課題や問題を乗り越えるための大切な手がかりとなるだろう。

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