【文学】理不尽な愛の選択: 平野啓一郎『かたちだけの愛』

「縦から見ても、横から見ても、自分より患劣としか思えない男を、好きになった相手が選ぶというのは、幾らでもあることだった。
本当に愛されるのはこちらなのだと、万人が同意してくれたとしても、当の相手が、それでもあっちの方がいいと言うのなら、理屈を説こうが、実利を説こうが、誠意を説こうが無駄な話だった。」

 平野啓一郎「かたちだけの愛」のこの一節は、愛と理性の間にある断絶を巧みに表現している。愛はしばしば論理的な選択ではなく、感情的なものであることを示している。

「縦から見ても、横から見ても」

 このフレーズは、さまざまな角度から物事を評価する姿勢を表している。
 ここでの「縦」と「横」という空間的なメタファーは、全方向からの評価を意味し、物事を徹底的に分析するというイメージを喚起する。
 しかし、それでもなお「自分より愚劣としか思えない男」を選ぶという事実は、愛がいかに非合理的なものであるかを強調している。

「理屈を説こうが、実利を説こうが、誠意を説こうが」


 この箇所は、三つの異なる説得の方法を挙げている。「理屈」、「実利」、「誠意」という三つのアプローチは、それぞれ論理的な説明、実際の利益、そして感情的な真摯さを指している。
 これらすべての努力が無駄であるという表現は、愛の選択がいかに理屈を超えたものであるかを強調している。
 この反復的な構造は、どれだけ説得を試みても無駄であるという無力感を強調する。


 この一節は、愛の複雑さと非合理性を描くことで、人間の感情の深層を探求している。
 引用部分に見られる巧みなレトリックは、愛が時にどれほど理不尽で、予測不能なものであるかを鮮やかに示している。

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