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「人としてかっこよく生きていきたい」#新年書くチャレンジDay10

新年書くチャレンジ、ついにDay10です。なんとか1月中に終わりました。Day9まではテンポよく書けていたのですが、どうもこのDay10だけは考えがまとまらず、書いては消してを繰り返してしまいました。

そんな私を悩ませたDay10のお題は、「ことしはどんな自分になっていたい?」です。シンプルなテーマなのですが、どんなに書いてもしっくりこなかったんです。まだ私は「なりたい自分」のイメージがついていないのかもしれません。

Day9までに挙げた、会いたい人、見たいもの、やりたいこと、ができた時、私はどんな自分になっているんだろう。未来を想像すると不安もありますが、ワクワクもします。

今はこんなにボヤッボヤの未来像しかないので、今は素直に思ったことを書こうと思います。

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最近、SUPER BEAVERの「人として」という歌を知った。2016年に発売された『27』というアルバムの収録曲の1つだ。ドラマ主題歌にもなり、話題になったようだけど、流行りに疎い私は、今年に入るまで知らなかった。

とってもストレートな歌詞が心に響く。サビの最後にVoの渋谷さんが、「人として、かっこよく生きていたいじゃないか」と叫ぶように歌う。このフレーズにとても惹かれた。

「わたし、人としてカッコよく生きているかな」

そもそも、人としてかっこいいって何だろう。
自分をうまく見せれること?
何事も失敗なくスマートにこなすこと?

じゃあ、カッコ悪いって何? 何をしたらカッコ悪いのかな。

例えば、大勢の前で転ぶ。うん、これはカッコ悪いし恥ずかしい。
自身満々だった試験に失敗する。あれだけ自信ありげに人に話していたのに、失敗するなんてカッコ悪いし、周りに合わせる顔がない。

身の程をわきまえず、できるはずがないことに挑戦して失敗する。周りの人にも馬鹿にされて、笑われて、心身ともボロボロになる。これも恥ずかしいし、辛そう。

でも「身の程」っていつ、誰が決めたんだっけ?

子供の頃は失敗経験が少ないし、自分の限界も見えてない。だから目の前のものは絶対できるようになると根拠のない自信を持っていた。

跳び箱を飛べるようになるために、同級生の前に顔面を打ってもチャレンジし続けた。逆上がりだって練習し続けて掌がボロボロになっても気にしなかった。私、とんでもなく負けず嫌いだったから。。
そうやってチャレンジし続けたからこそ、できることが増えていった。

大学を卒業して、社会に出た頃も失敗の連続だった。若い頃は失敗するものだと教わって来たし、周りも失敗を受け止めてくれた。失敗して恥ずかしいという気持ちより、できるようになりたい気持ちの方が大きいから、どんどんチャレンジしてきた。そうやって失敗体験を繰り返すうちに成長し、自分の能力や得意不得意を見極めれるようになっていった。

しかしいつ頃からだろう、失敗しそうなことには最初から手を出さなくなっていた。もう良い大人なんだから失敗できないし、したくない。安全な場所で自分のポジションを守るのに必死になっていた。

「失敗するってカッコ悪い、何事もスマートにこなせてこそカッコ良い大人だ」

でも本当にカッコ悪いってなんだろう。人前で失敗することって本当にカッコ悪いかな。失敗して周りに笑われてもチャレンジし続ける人の方がカッコ良くない?夢を掴んでない?

傷つかないためにチャレンジすらしてない自分の方が、よっぽどカッコ悪いじゃないか。

夢を叶えている人たちは、表向きスマートに振る舞っていても、裏ではとてつもなく努力している。周りに笑われて、馬鹿にされて、傷ついても、諦めずに挑戦し続けれる。

私はそっちの方が絶対カッコ良いと思う。

人としてカッコ良くあるために、諦めずにチャレンジし続ける。

今年は、いや、これからはそんな自分になりたい。

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