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環境の奴隷だった私#新年書くチャレンジDay8

新年書くチャレンジ8日目、「ことし手に入れたい理想の環境は?」

「置かれた場に不平不満を持ち、他人での出方で幸せになったり、不幸せになったりしては、環境の奴隷でしかない。」
                         ー渡辺和子ー

まさにこの言葉の通りだと私は思う。自分で選べない環境もあるが、大人になれば、ほとんどの環境は自分で選択できる。環境に不満を持ち、他人のせいにしているのは、踏み出す勇気がない自分への言い訳だ。

例えば職場の環境。
「勤務体制が悪い、やりたい仕事をできない、やりたくない仕事ばかり回される、周りが自分のことをわかってくれない、自分と意見が合う人がいない」と不平不満を抱いている人は少なくないだろう。少し前の私も同じようなことを感じていた。

「じゃあ転職して職場を変えれば?」

と聞かれると、言い訳が始まる。
「今の職場に慣れているから、コロナ禍で転職が難しい、年齢もあるし」
社会情勢や年齢のせいにしようとしているが、結局変えようとしていないのは自分自身だ。今の環境から出ていく事もしなければ、改善しようともしていない。すべて他人に任せて、つまり責任を取らなくていいようにしている。

私はまさに”環境の奴隷”だと気づく。

周りのせいではない、自分が悪いのだ。縛っているのは自分自身、言い訳を作り出しているのも自分自身。

学生の頃は環境が変わる機会が多い。入学、進学、卒業と自分の意志に関わらず環境が変わるから、自然と適応力も身につき、新しい場所に踏み出す気力もあった。社会人になると、たいていの場、合自分から求めない限り環境は変わらない。どんなに不満があっても、留まることはいくらでもできる。

でも、私は奴隷になりたくない。自分の環境は自分で選び、作り出したい。他人の出方に左右されるのでなく、自らの意志で歩きたい。

いまの自分の理想の環境、それは尊敬できる人たちがいる、一緒に追求できる仲間がいる、困ったときに支えあえる人たちがいる場所だ。自分に必要なのは職場の制度や福利厚生ではなく、人だ。

ことしはそんな人たちがいる環境を目指して踏み出していきたい。

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