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トラウマ関連の読書記録㉚「ガスライティング」

ガスライティングとトラウマ

ガスライティングという言葉は、これまでに何度か目にしたことがあったけどあまり気にしていなかった。どうやら対人関係で起きる情緒的コントロールらしいと知り、この本のタイトルを見たら「関係性におけるトラウマ」とあるので気になって読んでみた。

ガスライティングとは「心理的な手段によって、相手に『わたしは正気なのか』と自分自身を疑わせるように仕向けること」「対人関係における心理的操作」とある。なるほど、モラハラや心理的虐待やトラウマに関係していそうだ。


ガスライティングって珍しいことではないのでは?

ガスライターとは、加害者でありガスライティングをする人間のことだ。ナルシシスティック(自己陶酔的な自己愛)なタイプとそうではないタイプに分かれるらしい。親がガスライターの場合もある。

「ガスライティングの動機としてもっともよくあるのが、パワーへの欲望です。ガスライターである親に育てられると、幼少期から子どもの自律性やパワーが奪われます」
「ガスライティングをされて育った子どもは、生き延びるための手段として、親と同じようなガスライティングのテクニックを身につけることがあります」

ここでも世代間連鎖だ。育てたように子は育つということか。

ガスライティングにはテクニックがあり、7種類の方略が書かれている。
どれもその辺にありそうなものばかりだ。

否認
加害者が自分の行動に対する責任を取らないこと。忘れたふり、責任転嫁、嘘をつくなど。
「そんなことは全くやっていない」

聞こえないふり
相手の言っていることに対して、わからないそぶりを見せる。まるで相手の法が非論理的であり、訳の分からないことを言っているかのように思わせる。
「もっと大きな声で話せよ」「訳が分からない」

矮小化
相手に自分の考えや望みは分不相応でやりすぎだったと感じさせること。「大げさだ」「図々しい」などと相手の話を軽んじる。
「なんでそんなにヒステリックなんだ?」

価値下げ
情報源を疑ってみせることで、相手の話の信憑性に疑問を抱かせる。この価値下げを組織ぐるみで行う組織的ガスライティングは効力が高いらしい。
「自分が読んだことを何でも信じるんじゃない」

無効化
事実を裏付ける証拠があるときでさえも、相手に疑念を抱かせる手段として、出来事の記憶を疑ってみせること。
「君の記憶は全く当てにならない」「何が起きたのか全然覚えてないんだろう」

ステレオタイプ化
性別、人種、民族性、セクシュアリティ、国籍、年齢などに関する否定的な固定観念を利用すること。過度な一般化を用いる。
「未熟なお前にはわからないだろうけど」

論点のすり替え
ガスライターが悪事を働いた証拠を突きつけられたときに起こる。ガスライターは自分がしたことは認めずに、相手のミスを持ち出してコントロールを取り戻そうとする。
「なんでそんなことを持ち出すんだ。責められるべきは君なのに」

こうやって書いてみるとあまり大したことが無いように思えるかもしれないけど…いるよねこういう人。巧みに揺さぶってコントロールして自分が優位に立とうとする人。それに嵌まってしまうと抜け出せなくなる。

そしてこのガスライティングには段階がある。
①嘘と誇張
②しつこく繰り返す
③反論するとエスカレートする
④ターゲットを消耗させる
⑤共依存
⑥偽りの希望を与える
⑦支配とコントロール

抽象的でピンと来なくても、その後の章で「家族」「親密な関係性」「社会」と、事例を挙げているのでそこで具体的に理解できる。


ワークてんこ盛り

当然ながら、ガスライティングによって受ける影響は大きい。
「ガスライティングは、他者や自分自身に対する信頼はもちろん、被害者の自尊心とメンタルヘルスにも永続的な影響を与えます」
「被害者の自分自身に対する信頼を損なわせるもので、ときに他者や集団、組織に対して安心を感じる能力も破壊してしまいます」

そしてトラウマやPTSD、複雑性PTSDについても書かれている。
研究によると「人や集団がガスライティングを経験した期間が長ければ長いほど、世代間トラウマや不公平な社会が広がっていくことがわかっています」

親が子どもにガスライティングをするのは、心理的虐待の一種ということになるのだろうと思う。私が幼少期に受けた心理的なコントロールは、矮小化や否認や価値下げに当たるのではないか。

さらに、自分の内面に気づくためのワークがてんこ盛りである。
トラウマや感情に向き合う章ではACE(小児期逆境体験)やSUDS(主観的不安尺度)のチェックもあるし、アタッチメントも共依存も大文字と小文字のトラウマの解説も載っている。さすが2023年出版だ。

境界線やアサーティブネスや瞑想や呼吸法やヨガも載っている。境界線のワークをやってみて、私はだいぶ境界線ができてきたのだなと実感した。一通りやってみて、これからも繰り返しやりたいと感じたものは続けていくことにした。「投函しない手紙」のワークは、夫に対して書いてみようと思う。


EMDRスパイラル・テクニック!

このEMDRスパイラル・テクニックは、前に読んだ創始者のシャピロ博士の著書にも載っていた(記録㉕)。改めてやってみたら、すごくいい。終わった後に「あ、大丈夫だ」という感覚になれる。不安や苛立ちなどは、認めて受け止めてからこのテクニックを使うとかなりスッキリする。

やはり眼球を動かすというのはとても影響のあることなのだと思う。自律神経を整える時にも眼球を動かすエクササイズがあるし、フェルデンクライスにも眼球のみを動かすものがある。目を閉じてイメージ上の螺旋に合わせて眼球を動かすのは、何とも言えない不思議な感覚になる。


内的ゆるしから外的ゆるしへ

終わりの方に出てきた内的ゆるしと外的ゆるしが、私にとってはとても印象的であった。ゆるしにも段階があるらしい。
でも、相手をゆるすのか?ゆるしたいのか?私はもう両親のことは特に強烈な感情が湧いたりはしないが、ゆるしって何になるんだろうか?と思っていた。でもどうやら私の想像していた許すという行為とは違っていた。

「ゆるしは、セルフコンパッション、痛みからの解放、そして自分自身を守ってきたと同時に苦痛をもたらすことにもなった防衛機制を手放すことによって、内側から起こるものです。内的ゆるしを経験すれば、他者にもゆるしを向けることができるようになります」
「外的ゆるしとは、自分がされたことを許容したり、相手にあなたを再び傷つける許可を与えたりすることではなく、加害をした人(もしくは集団)と自分の被害体験の強固な結びつきから解放されるための手続きであることを覚えておきましょう」

このゆるしのプロセスは、私がトラウマ治療で辿ってきたプロセスととてもよく似ていた。ただし、ゆるすことについて「ノー」という答えを出してその段階に留まることももちろんできる。それは足踏みではない。
「どの段階にいてもそこで取り組みを続ける限り、その人は癒されているのです」

プロセスの中に境界線の設定という段階もあるのだが、境界線って本当に大事だなと改めて思った。
「この人に関して、わたしは自分の人生を分かち合いたいのか、それとも関わりたくないと思っているのか?」
という部分を読んで、そうか、私が決めていいのだと気づいた。無理なら関係を終わらせることもできる(どうしても難しい関係性もあるけれど)し、強固な境界線を設定することもできる。なるほどね。私が決めるし、決めていいのだ。


読みやすいしお勧めできる本

専門書ではないので、読みやすく幅広くいろいろなことを学べるようになっている。ワークも広く浅く載っていて、興味を持ったものだけを続けたり、もっと深く掘っていくこともできる。

そして、「自分はこの程度のことで大げさなんじゃないか」と思ってしまう人にはぴったりなのではないかなと思う。ガスライティングはハードな虐待や被害まではいかないけど、心理的に大きな影響をもたらすものだし、不適切養育にもつながるのではないかと思う。






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