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カウンセリング/10回目

前回からの振り返りと報告

・前回のカウンセリングで宿題になっていた、父に干渉されて嫌だった自分の気持ちを受け止める作業に取り組んだこと。
・成育歴は思春期まで進んだこと。


両親に甘えたかったと思えない

父に対しては、母とは違う感情を抱いてきた。
どう考えても父が諸悪の根源であることは当然の事実で、父自身も反省しており、最近は父が私や弟に「本当に申し訳なかった」と言うことが増えた。
私の中では「父が悪いのはわかっている。でもなんだか気の毒だ」という気持ちがずっとあり、そのせいか喧嘩の後両親が別行動する時には父に付いて行ったり、高校生ぐらいからは帰ってこない父と2人で食事をしたりと、父のフォロー役のようなことをしていた。

でも、ちっともやりたくなかったし、父のことも好きかどうかはよくわからなかった。とにかく父親としての存在感が全く無い人だった。
自分は好き勝手してほとんど帰って来ず、帰ると不機嫌をまき散らし母と喧嘩ばかりしていたくせに、私のことは思い通りにさせようと押さえつけてきた人だったことに改めて気がついた。
私はずっと父に対して怒っていたし、煩わしかったのだと思った。

母は不安定で被害者意識が強く、自分が正しいと信じて疑わない人だった。
全て周りのせいにして、父に見て欲しくて私のこともダシにしていたところがあった。
母に対しては「頼りない人、安心して身を預けることはできない人」だと見ていたことに気が付いた。「この人大丈夫かな?やばくない?」という感じだ。

そして「親に(特に母親に)本当は甘えたかったんだという気持ちを受け止める」ということができない。
そもそも甘えたかったのかどうかわからない。だって2人ともあまりに子どもだ。当時は頼りなかったし、自分たちのことしか見ていなさ過ぎた。
両親共に甘えられるような姿を私に見せていなかったし、甘えたいと私が思えるような父や母を想像することができない。

ただ、実際には私は甘えてはいたのだと思う。主に気を引くために「悪い子」のような言動をしていたのだけど。
そして、両親も甘えさせてくれてはいたのだろうと思っている。
でも「もっと甘えたかった」というように、親を求める気持ちにならない。

このことに関していろいろ話をしていくうちに、カウンセラーに「甘えたいという気持ちを抑圧しているのでしょう」と言われた。
そして「もっと自分の気持ちを受け止めて、感情をしっかり出していけば、素直な気持ちが出てくるでしょう」とのこと。
「自分自身との信頼関係がまだできていないということなのでしょうね」とも言われた。

小さい頃の気持ちに向き合うことを続けること。
自分自身を暖かい気持ちにさせてあげること。自分に安心感を持てること。
徐々に変わっていけば、見えてくるものも違ってくるのだろう。


とにかく怒りを出す

成育歴の中の印象的な出来事を取り留めもなく話している中でカウンセラーにも指摘されたのだけど、私の中にはまだまだ怒りが残っていることに気がついた。
もちろん怒りは残っているだろうと分かっていたが、思っていたよりも怒りてんこ盛り状態だった。
怒りはこれまでにかなり出してきたつもりだった。それでもまだまだらしい。正直果てしなく思えて気が滅入る。

私が一番大元に抱えているのは「好き勝手して私のことを振り回しやがって」とか「私のことをかさばるオモチャみたいに扱った」とか「親も親戚も、周りの大人たちはみんな自分の都合のいいように動いて、そのついでに私のことを傷つけていた」とか、そんな思いだと思う(事実かどうかはともかくとして、そう思っていた)。
で、ものすごく腹が立つ。やっぱり怒りだ。

果てしないですね、とカウンセラーに言うと「コツコツ自分で続けていくことですよ。毎日少しずつでも。気持ちを書いてその紙を捨てたり、口に出して気持ちを言ったり。あとは運動もいいですね。ゲームセンターで殴るゲームをするとか」と言われた。
やっぱり「外に出す」ことが大事なのだ。せっかく見えていることがあるのだから、毎日怒りを出す作業をしていこうと思う。
誰かが答えをくれるわけではないし、自分が一番わかっているはずなのだ。泥臭い作業を「自分が」やっていくしかない。


ものすごく大事なこと

最近、母のイメージに薄くフィルターがかかった感じになっている。
自分の気持ちを母にぶつけるイメージをする時や、母との記憶を思い出す時にも薄く靄がかかっている感じだ。
カウンセラーに話すと「現実感が無い、ということですか?」と聞かれた。
そう、確かに現実感が無い。
それは私が母から目を逸らそうとしているために、解離に近い状態になっているのかもしれないとのことだった。
解離は防衛機制の1つだということは勉強した。
「自分にとって受け入れ難い出来事や観念、感情を自分の普段の心から切り離し、統合性が失われた状態」とある。
確かにそれに近いのかもしれない。

なぜそんなことになっているのかをカウンセラーと話していくうちに、分かってきた。
私はそこまで壮絶な虐待などを受けていた訳ではなく、母には愛されていたし支えてもらったことも何度もある。
ここ最近も、私がキツい時期には何も言わずに話を聞いてくれたりもした。
そして何より、今はもう年老いているし、揉め事が起きるようなことは全くない。
こういう母に対して「申し訳ない」という気持ちになる時があるので、見ないことにしたいのではないか。

カウンセラーに言われたのは「向き合うのは当時の自分が辛い思いをした時の母親で、今の母親ではない」ということ。
母には私を愛してくれて、困った時には支えてくれた面も当然ある。母は今は落ち着いているし、老いた母を責めたくないという気持ちになるのも無理はない。
ただ、そこを気にしていたら、当時の自分の気持ちに向き合えない。
辛かった自分の気持ちを受け止める時に向き合うのは、当時の母親。今の母親ではない。当時の子どもっぽくて自分のことしか見えていなかった母親に対してフォーカスすること。今の母親は関係が無い。別物だ。これは私にとってものすごく大事なことで、常に気に留めたいポイントだと思う。

だいぶ楽になってはきたものの、深く見てみるとまだ道のりは長そうだ。
でも自分と対話して、自分で癒すことができるなんてとても贅沢な時間だと思う。焦らずに思う存分取り組めばいいのだ。

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