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カウンセリング/22回目

今回から、振り返りと報告は無しにする。なんだかあまり意味のないものに思えてきたので。


絶賛停滞中

自分の中が見えて、なぜそんな風に捉えているのかということもほぼわかった。その時々の気持ちに振り回されることなく、観察して受け止めることができるようにもなってきた。
でも、そこから先になかなか進めない。まだまだ受け止めることが必要なんだろうけど、「もうこれだけ分かってるんだからスッキリさせてくれよ」と思う。
思考と感情は本当に別物だと実感する。

たぶん、だいぶ楽になっているのだと思う。訳の分からない不安や縋りたくなるような気持ちは無くなってきた。でも、自分を恥ずかしいと思う気持ちは相当強烈で、ずっと私の中に居座っている。「恥ずかしい」というのは父と母の声で聞こえてくるが、私の声も混ざっているように思う。私がどんどん強化したせいだ。

スキーマ療法で気づいた「自分の中の声」のことを考えている時に、この記事を読んだ。

自分の中を、本当の自分じゃない声に乗っ取られている感覚というのを読んで「まさにそれ!」となった。私自身の「私は私でいいんだ、恥ずかしくなんてない」という声はすごく小さい。
育成ゲーというのもわかる。スキーマ療法のヘルシーなアダルトを大きくして自分を養育していくという方法にも、今のカウンセリングで大人の自分が子どもの自分を受け止めて育てていくということにも当てはまる。

ただ、難しい。頭で言い聞かせるだけでは全く意味がない。
もっともっと自分との対話も自分自身を受け止めることも必要なのだろう。道は長い。


楽しければ楽しいほど恥ずかしい

先週末、遠くの友人たちと会う機会があった。予想以上に楽しい時間を過ごし、会えて本当によかったと思った。
そして、帰り道1人になると「変なことしたり言ったりしたかもしれない」「笑われてないかな」「みんなは楽しかっただろうか」という気持ちが出てくる。簡単に予想できる私のお決まりのパターンだ。はい出ました、という感じ。

もちろん、恥ずかしく思われるようなことはしなかった(そこも会っている最中から慎重にしていた)。微妙な空気になったりもしなかったし、これで楽しくなかったとか私のことを変だと思う人はいないだろうし、いたとしても思う側の問題だ。私は関係ない。
でも、自分をダメで恥ずかしいと思っているので、周りもそう思っているのではないかと感じてしまう。

恥ずかしいとかダメと感じるのは自分自身のことだけど、周りの人間に「私のことを恥ずかしいと思っているのではないか」と感じるのは、誰かいないとできない。そう感じたくないから、1人になりたくなってしまう。実際1人の方が楽だ。誰かと一緒にいたいというのは、小学校から高校までしか感じたことは無かった。学校内の1人での行動が惨めだと思ったし、誰かといた方が学校で安心に過ごせると思ったからだった。でも今はそれが無いのがすごく楽だ。1人でもいいのなら、1人でいたい。
これはこのままでも困らないので、これでいいのかもしれない。これで恥ずかしいと思う自分の声がしなくなったら、最強なのではないか。


夫への怒りは継続中

夫には、相変わらず腹が立って仕方がない。導火線に火が点くみたいに怒りが燃え上がる。夫へは出さないけど、あんなに怒りを感じるのは正直しんどい。怒りを観察していると、とにかく子どもっぽい自動思考が出てくる。夫が何もしていなくても、家事やお風呂の時などに「夫が私の思い通りにならないところ」を反芻し、怒りを再生産している。

夫は今でこそうつ病を経験したこともあるからか落ち着いて穏やかになったけど、前までは自分の不機嫌をダダ漏れにするタイプだった。そして私はそれに振り回されて「私が何かしたんだろうか」「私がダメだからだ」と思い、夫の顔色を伺う行動をしてきた。そのせいもあって、私にとって夫は「安心できない人間=排除したい」となっているのだと思う。

今回のカウンセリングで、夫との若い頃のことも含めて、誰かと「対等な関係」になれたことがなかったと気づいた。表向きはそんな風に見えていなかったと思うが、誰かに心を許せると感じると、依存しそうなぐらいになってしまう。あるいは夫のような相手だと、顔色を伺って疲れてしまう。結果、こちらからはそこまで積極的に関係を繋げておく努力をしなくなる。その繰り返しだった。

でも、と思う。
これを全てどうにかする必要は無いのではないか。苦しくてしんどいと思っているところだけでいい。対等じゃなくてもいいのならいいし、1人が快適ならそれでいい。また困ったなと思ったり、それじゃあ嫌だと思った時に自分と相談したらいい。今は、自分を恥ずかしいと攻撃する自分がいるのがしんどい。このことを優先して対応したい。



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