見出し画像

EMDR/6回目

前回の治療から今回まで

前回はEMDRでの処理は行わず、記憶の整理やカウンセリングのみを行った。何も感じていなかったように思えた出来事について、感情にアクセスできることが分かったので、今回で処理を行うことになっていた。

その後、感情に圧倒されることなどは特に無かった。最近はもうそのようなことはほとんど起きない。安全なイメージや情動の助けになるリソースを持つことができているし、認知の改善もしたからかもしれない。

ただ、身体にはかなり反応が出た。前回受けた日の夕方以降、肩から腰にかけての痛みと頭痛が出るようになった。毎日頭痛薬を飲むようになった。結構しんどかった。これが全てトラウマ由来なのかはわからないが、トラウマに関する専門書などを読むと、肩こりや頭痛などは典型的な症状だと書いてある。緊張状態にあるからだそうだ。さもありなん。

そして、2つほど急に思い出した記憶がある。

1つは、3歳の時に食わず嫌いでメロンを食べようとしなかった私に、母がいきなり押し倒し覆い被さってきてメロンを無理やり口に入れ手でふさいだ記憶だ。私は偏食が激しく、食わず嫌いもかなりある子どもだった。今も果物全般は特に好きではないので、あまり食べることは無い。
母はもったいないと思い、嫌がる私を押し倒して無理やり口に入れたところ、メロンのおいしさがわかり私は「おいしい」と言い、メロンは食べるようになったとよく母が話していた。
という訳で、この出来事は記憶こそ無かったものの「メロンの食わず嫌いで損していた私を母がいい方向へ導いてくれた話」として、笑い話にもなっていたし、母も得意顔だったし、私も母に感謝していたのだった。母には悪気は全く無い。いや、いつも母には悪気は無いのだと思う。

それが、今回パッと出てきたのは、母が無言で上からのしかかってきて、手足をばたつかせて無言で抵抗する私の口にドロッとしたメロンを入れ手で口をふさぎ、私はますます暴れる、という断片的な映像だった。
おそらく、この映像の後に私は観念して暴れるのを止めてメロンを味わい「おいしい」と言って母が喜び、一件落着したのだろう。ひどいことをされたとか悲しいとか、そういう感情は無い。ちょっと笑ってしまう位だ。
ただ、この映像のみの記憶だと怖くて息苦しい感覚だけが残っていた。

もう1つは、小学校低学年の頃によく絶望感のような希死念慮のような感情が胸を渦巻いていて苦しかった、という記憶だった。小学校中学年以降は消えたように思う。何も無い昼下がりによくそういった感情になり、胸が掻き回されるようで苦しかったことを思い出した。


急遽3歳の時の記憶から処理をすることに

今回、この記憶2つを思い出したことを話した結果、年齢の小さい3歳の時のメロンを無理やり食べさせられた記憶から処理をすることになった。
前回準備した、母の自殺未遂の出来事の記憶は、私の中の地下倉庫の鍵付きの大きな箱の中にいったんしまっておく。
セラピスト曰く「この記憶が出てきたというのは、このことも忘れないでというメッセージかもしれないですね。こうやっていきなり出てくることがあるんです。きちんと処理していきましょうね」とのことだった。

3歳というのは、発達的には「言語獲得前」とみなされるということで、初回の1歳の時の記憶処理と同様に眼球運動は行わない。
この記憶を思い浮かべた時の感情は「訳が分からなくて怖い」だった。とにかくいきなり襲われた感じだったので「いったい何なんだ」という気持ちのみで必死に抵抗していた。
身体感覚は、喉の奥が詰まる感じがひどい。息苦しい。呼吸も浅く、動悸がする。

この当時の私(母から押さえつけられてもがいている私)に対して、どんな言葉を言ってあげられたら安心できるか?肯定的な認知はどんなものになるだろうか。セラピストと検討した。
うーん。抵抗して訳も分からず、声も出さずに暴れている私に何と言ってあげたらいいものか。考えた結果「私は大丈夫」だった。
そう、私は大丈夫。怖いけど死んだりはしないし、大丈夫だよ、と声を掛けてあげたい(できるならそこから救い出したいが、それはまた後の話)。
この時点での記憶に対する肯定的な認知は、一番低い数値だった。

この場面での否定的な認知は、上に書いた感情そのままの「怖い」だ。数値は最高値の状態である。


無かったことにしていた「怖い思いをした私」に寄り添う

眼球運動無しの両側刺激のみで何セットも処理を行い、いつものように思い浮かんだことを話していく。だんだん認知が変わっていくのが分かる。
終わりよければ全て良し、みたいに「結果的にメロンが好きになってよかったね、お母さんもやった甲斐があった」みたいなところに話が落ち着き、私も笑い話にしていた今回の件だが、押さえつけられて訳も分からず恐怖した3歳の私の感情は無かったことにされていた。

それならそれでいいということになるが、今回思い出したということは「怖かったんだから無かったことにしないで」ということなのだろう。
記憶は無いが、押さえつけられて口の中のメロンを味わい「おいしい」と言ってから、私はどんな気持ちだったのだろうか。「あーびっくりした」程度だったのだろうか。母は「びっくりさせてごめんね」などは言わなかっただろう。怖かったけど、自分の中で無意識に無かったことにした3歳の私を思うと、抱きしめてやりたくなって涙が出た。
自分自身に思いやりを持てるようになっている自覚がある。いいことだと思う。

3歳の私はどうしたかったんだろう?ということを考えると、一番は「覆い被さってくる母を蹴飛ばしてどけたかった」に尽きる。でも3歳の力では無理なので、せめて「助けて」「やめて」などと叫ばせてやりたい。叫べなかったことと、喉の詰まった感覚がつながっているような気がする。
という訳で、3歳の私を励まして「助けて」と叫ばせることができた。母には届かないが、でも言えた。言えたことが力になる感じがした。

ここで大人の私の登場である。どうしてあげたいか。覆いかぶさっている母を3歳の私から引きはがし、私に「大丈夫だよ」と声を掛けて抱き上げて、家の外に出る。公園に着いたら手をつないで一緒に散歩する。3歳の私はだんだん笑顔になる。そこで「怖かったよね。メロンは嫌いでいいよ。食べなくてもいいんだよ」と声を掛ける。

そしてもう1つのイメージでは、そもそもメロンを食べる前から大人の私が母と3歳の私の間に陣取って座り、母に「メロンは食べさせないでいいからね」と睨みを利かせる。そして私と3歳の私は、代わりに好きなゼリーを食べる。ちょっと笑ってしまうイメージだ。美味しいメロンは母が食べたらいい。食べさせてあげたかったのは分かるけれど。

これから記憶を思い出しても、大人の私が助けたり事前に阻止したりできるという感覚ができた。私は大丈夫だ。


母、脊髄反射人間説浮上

何セットも処理を行いながら上に書いたイメージまで到達して、肯定的認知は高く、否定的認知は低くなった。喉の奥が詰まる感覚は軽くなった(元からずっとある感覚なのだ。もっと回復しないと完全には消えないのだろうと思う)。動悸もしない。自分に対する安心感が出てきた。

その後、セラピストとの会話で、母がかなり勢いで行動していることに気が付いた。メロンを食べさせてやりたいと思ったのは分かる。きっといいメロンをわざわざ買ったかもらったかしたのだろう。それなのに私は「イヤ」とそっぽを向いて食べなかった。がっかりもしただろう。
でも、ここで無理やり押さえつけて口に入れる行動に出るか?私は訳も分からず暴れていたし、まだ3歳だ。力の加減を誤って怪我をしてしまったら?無理やり入れたメロンが喉に詰まったら?そういうことは何も考えていなかったのだろうか?

私は自分の子が3歳だった頃にそんなことをしなかったし、しようとも思わなかった。初回のポップコーンを喉に詰まらせた出来事といい、母の行動には理解できないものが多い。
母はあまり後先を考えていないのかもしれないと気が付いた。周りがどういう気持ちになるか、相手が傷付くか、そういったことを立ち止まって考える前に行動してしまうことが多かったかもしれない。
全体的に悪意は無くて、極端な話「何も考えていなかった」ということになる気がする。父との喧嘩然り、感情が高ぶって私に投げつけた言葉然り。

母の特性の可能性もあるし、母がそういう育てられ方をしたからという可能性もある。両方かもしれない。
私は、母の自己申告によるところが大きいのだけど、母は思慮深い人だと思ってきた。でも違うっぽいぞ…?と今自分の中の母像がますます揺らいでいる。

そして、私は何も変わる必要は無いし、私に落ち度は無い。私はもっと大事にされて受け止められるべきだった。
ダメなのは父や母の方だなと思うようになったのだけど(おお、批評家がだいぶ力を失ってきた)、両親には悪意は無く、単に何か抱えたダメダメな人たちだったんだなと思う。


回復まであと少し?

セラピストと話をしていて、回復が思ったより早そうですねと言われた(感情に圧倒されることがほぼ無くなった、家族に共感を示すことができている、私は私でいいんだという認知が強くなってきたことなどから)。
確かに感情面では楽になったなあと感じることが多い。おそらく、セラピーで作ったリソースたちが私を助けているのだと思う。安全なイメージや、連れて帰った青いワンピースの5歳の私や、イメージの中のオソノさんなど。

今、小さな私はオソノさんたちにして欲しかったことをしてもらいながら、小さな弟を思い切り可愛がり優しくすることでますます満たされている。小さな私は、弟と仲良くしたかったのだとわかった。当時の私は自分が生き延びるのが精いっぱいだったし、寂しい気持ちや満たされなさをもっと弱い弟や周りのいろんなことにぶつけていた。それは無理もないことだったのだけど、とても悲しいと思っている。
幼い弟と仲良くする自分のイメージで、涙が出る。こうしたかったなあと思う。

回復は、身体症状が楽になることで実感できるのではないかと思う。まだ私にはしんどい部分がいくつかある。これからは身体に意識を向けて、そこから楽になっていきたいと思っている。だから、記憶の処理は終わるのかもしれないけれど、回復にはまだかかるのではないかなと思う。

次回は2週間後。次こそ保留になっている記憶の処理だ。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?