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EMDR/5回目

今回はEMDRは無し

EMDRでは年齢の小さい順に記憶を処理しているため(それがEMDR治療全てに当てはまるのか、私の担当セラピストのやり方なのかはわからない)、次に処理するのは私の幼少期の出来事の中で一番手強そうな記憶になる。
5歳の時に母が自殺未遂した時の記憶だ。

あまり詳細にここには書かないが、私のその時の記憶は以下の2つになる。

1. 夜中に母が運ばれる時に救急車に乗り込んで走り出してからしばらくの記憶。救急車の床の下の振動とか、朦朧とした母と父がやり取りしていた言葉(非常に不穏な内容)も覚えている。

2. 病室で母が意識を回復し(翌朝だと思う)、周りの大人たち(駆けつけた祖母と叔母もいた)が私と母を2人にして、母においでと言われたのに怖くて近寄れず泣き、母も泣いた記憶。

ちなみに当時は具合が悪くて病院に運ばれたということになっていた。その後成人過ぎてからふとしたきっかけで叔母から本当のことを教えてもらった。ショックというよりは当時の不穏すぎる空気を思い出し、変に納得したのを覚えている。

というわけで、私がこのことを知っているのは両親は知らないし、弟は赤ん坊だったので記憶が無いはずだ(無意識で傷になっている可能性はあるけれど)。

正直、この記憶に関しては、思い出しても怖かったなあとは思うものの、感情にアクセスできなかった。自分がどう思っていたのかがあまりわからない。見たくないのかもしれない。しっかり記憶があるので、解離ではなさそうな感じもする。別の人格が対応していたという形跡もない。

慎重に進める必要があるため、今回は次回のEMDRの前準備ということで、その記憶についてや父と母と私との関係を改めてじっくり話すことになった。

ちなみに、この記憶は「死にそうな人を目の前で見る」という要件を満たしているので、私はPTSDになっているそうだ。


大人が誰もケアしてくれなかった

父と母とのことについては、これまでの整理や気づいたことなどを話し、やっぱり両親はいろんなものを抱えたまま親になっちゃった人たちなんだろうなと改めて感じた。
この辺のことは今までにも書いてきたことなので省略する。

セラピストには「全体的にかなり過酷な心理状況で育っている」と言われた。私の場合は不適切養育を超えて、虐待の範疇に入るとのこと。

そして母が自殺を図り運ばれた時の記憶について話す。記憶のある部分の感情や当時の状況など。

救急車で運ばれる時に「真夜中で目立っちゃうから近所の人たちに見られちゃう、恥ずかしい」と思ったこと。
弟を抱っこした父も、朦朧とした母も、2人でやり取りしていて私の方に目を向けることはなかったこと。
病院に着いてからも、思い出せる限りは誰も私のそばにいなかったこと。まあ、大人たちは状況に対応することや手続きや赤ん坊の弟の世話などでそれどころではなかったのだろうとは想像できる。ただ、その状況と私の抱いた感情は全く別問題だ。
母においでと言われて行けずに泣き、母が泣いたのを見た時は「泣かせてしまった」という罪悪感を持ったこと。
思い浮かぶことや記憶を話した。

セラピストに「誰も子どものルルちゃんに寄り添っていないですよね」と言われた。
トラウマの本を読んでいて何度も出てきたのは、トラウマになるような出来事の際に、大人が誰か1人でもその子に寄り添って感情を受け止めることができていたら、その子は感情的に見捨てられないのでトラウマにならないということだった。
私は怖い場所に放って置かれて感情的に見捨てられたので、自分だけで何とかするしかなかった。

ちなみに私は「悪い子」と言われていたが、同時に「しっかりした子、1人でも大丈夫な子」とも言われていた。なので放っておいても大丈夫だと思われていた可能性が高い。

誰か大人が私のことを抱っこしてくれていたら。「大丈夫、怖いよね」と声をかけてくれていたら。死にかけていた母が、父だけを見てギスギスした会話しかせず、私のことを全く見ようともしなかったことも寂しかった。
私のイマジナリーオソノさんがあの場にいたら、私のことを抱きしめて「怖いね、そばにいるから大丈夫」と言ってくれただろう。

もしかしたら記憶には無い部分で、誰かがそうやってやってくれていたのかもしれない。でも私の中に残っていないので、やってくれなかったのと同じことだ。子どもの欲求にきちんと答えてくれたとその子ども自身がちゃんと感じられるような対応を大人ができていないのなら、それはもうダメなのだ。子どもにはそんな事情を汲み取ることなどできるはずもないし、仮にそんなことを要求する大人がいるのなら、それはクソ野郎だ。

こんな風に思ったら涙が出た。やっぱり寂しくて不安だったのだ。でも一度感情の蓋を開けたら、ものすごくいろんなものが出てきそうで怖いし面倒な感じもする。だから見ないようにしてきたのかもしれない。

挙句母のケアをさせられている

そして、母と2人にさせられたこと。きっと父や祖母、叔母は母子2人の時間をと思って気を利かせたのだろう。母も私に何か言いたいことがあったのかもしれない。
経緯は知らないが、気付いたら2人にされていた。

私は母が恐ろしくてたまらなかった。死にかけの人(もう一命を取り留めてはいるのだが)は、とても恐ろしい生き物に見えた。母のことを心配したり、甘えたりする余裕など無かった。というか、そもそも母に甘えるということが下手だったので仕方がない。

母が涙を流したのを見て罪悪感を覚えたことを話すと、セラピストに「お母さんのケアをさせられていて、親子の関係が逆転しています」と言われた。

なるほど。確かに周りの大人からはそんな風に期待されていた部分もあったかもしれない。あとは私自身が母と2人になりたいだろうと思ったのだろうけど、それは全く望んでいないことだった。

この一連の出来事に対する大きな怒りがあることに気付いた。私のことを誰も見てくれない、怖いのにずっと1人にされた、能天気に母と2人にされた、罪悪感なんて持たされた。母も都合のいい時だけ私にこっち来いと言ってくる。

怒りがとても大きそうで、想像するだけでしんどい。誰か特定の相手に向いているのではなく、弟以外の周りの大人や世界に向いている。「皆殺しだ、みんな破壊してしまいたい、みんな燃えてしまえ(弟を除く)」というような怒り。
怒りをまともに感じたら、とってもしんどそうな予感がする。


前準備完了


ここまできて、無事に前準備が完了した。感情にアクセスできることがわかったので、次回はこの記憶をEMDRで処理できるとのことだった。
解離している場合は、他にやらないといけないことが増えて大変らしい。

私がいきなりEMDRを受けることができているのも、ほとんど解離していないからなのだそうだ。
確かに私にはよく効くと感じている。相性もあるのだろうか。
それにしても、なぜこんなに解離せずに済んでいるのだろう。

セラピストに「ひどい解離や精神疾患にならずにここまで生き延びてきてすごいと思いますよ。身体の方にいろいろ出ていたからこそ精神には出ないで済んだというのもあるかもしれません」と言われた。

身体に不調が出ると、その時は親にケアしてもらえるので、それを糧にしていたのかもしれないとのこと。確かに、夜中に腹痛で苦しんでいる時は母が心配してくれた。ただ、同時に「身体の調子を崩すのは私の不摂生のせいで自分で台無しにした」と言われていたので、ケアしてもらいつつ自己否定も強くなるということになっていたのだが。
そしてこの身体の不調は不安定な家庭が原因なので、親による不安定な家庭→私の身体の不調→親がケアするが否定もする→私は自己否定と家庭の不安定さでますます身体が不調に…というマッチポンプ状態、負のループだった。

今回は大分手強い記憶や感情にアクセスしたので、帰宅後に新たな記憶が出てきたり感情に圧倒されたら、連絡してくださいとのこと。わかる。感情の蓋をずらしたので、思い出すと涙が出そうになるようになった。
喉の奥がいつもより詰まる感じがする。その処理方法も教えてもらった。

最後に、前回治療の時の記憶の認知について確認があった。否定的な認知や辛い感情は全く無い。ゼロだ。
弟と比べられて悲しかったという記憶全般に関しては、親がおかしいだろという気持ちになっている。そうやって子どもの私に今の私が確信を持って話してあげられる。

また2週間後。


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