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カウンセリング/29回目

友人との行き違いで成長を感じる

今の自分は特に不安や感情の波に吞まれることがなく、何かあっても自分の中で感情を受け止めて解消することができるようになってきた。
こんな風に思ってしまうなんて、ということも無くなり、「そう思ってるのか」とマインドフルネスを発動させられるようになった。
いわゆる「耐性の窓」が少しずつ広がってきているのかなという感じもする。そして、自分の内なる批判家の声とも対決できるようになってきた。
EMDR治療で「私は私でいいんだ」という認知が身に付いてきたのだと思う。

そんな中、数日前に友人と2人で食事に行った。いわゆるママ友なのだが、とても頭のいい人で趣味の話も合うし、私は正直憧れてもいた。価値観が同じという訳ではないが、頼りになる楽しい友達だ。
そして、前まではこの友人にも「理想の保護者」を求めていたのだと今は自覚している。

あまり自分の詳しい話はしたがらない友人だが、最近は家族のことなどで少ししんどそうなことは分かっていた。
一方私はカウンセリングやセラピーでだんだん楽になってきており、これまでは一切そういった話はしなかったのだが、この食事をした際に初めて「実はカウンセリングに行ってて、だいぶ気持ちが楽になったんだよね」と話した。
すると友人はカウンセリングを否定するようなことを言い出した。そんなお金を出して話すだけの人に何が分かるのか、と。彼女の言い分を聞いていると、私が宗教にハマっている人みたいな感じだった。友人はたぶん、私に家族のことを重ねていたのだろうと思う。

その後私も「何だそれ」という気持ちになり、軽く言い合いのような形になった。でもまあ大人同士なので、とりあえずその話題は脇に置いてなあなあにして、その後は平和に食事を終えて帰宅した。

帰宅してもしばらくは嫌な気分が収まらなかった。こういう時は、自分の中の感情をどんなものでも全部受け止める。ああムカつくわ。悲しい。わかってほしかった。そんな感情を「ああそうか、そう思っていたのか。それも無理はないよ」と受け止めて味わう。

そうすると1時間もすると感情が消化されてもやが晴れてくる。そして、いろいろな考えが目の前に現れる。
友人もいろいろとしんどい時期だし、何かあったのかもしれない。でもそれは私には関係が無いし、話さないのも友人の自由なので、このままでいい。そして何より、私は私でいい。このまま特に何も変わる必要も無いし、友人が言う事を受けて何かしないといけないということも無い。友人の言い分は友人のものだ。私は受け取るつもりは無い。

ここまできて「そっか、じゃあもういいや」となった。
前までなら、わかってくれなかった!ひどい!どうにかしてわかってもらいたい!私がおかしいんだろうか?やっぱりカウンセリングを受けない方がいいのかも?などという声が頭の中を吹き荒れて、その処理をうまくできないまま聞こえないフリをしたり、友人にぶつけたりしていた(私はその友人には子どもみたいな反応をしていたなあと今では思う)。

カウンセラーに指摘されたけれど、たぶん共依存に近い関係だったと思う。おそらく友人の方にも何か抱えているものがあるのだろうことは窺える。本人は自覚していないけれど。
その共依存を私が「一抜けた」とした結果、この友人との関係が変わって疎遠になってしまったとしても、それは寂しいけど仕方がないかなと思った。
自分が変わることで人間関係が変わるというのはこういうことなのか。

カウンセラーには「だいぶ変わりましたねえ」としみじみ言われた。
本当にそう思う。境界線を引くとこんなに人間関係が楽になるのだと思った。



母はラスボスなので手強い

これは「どうにかせねば」というのではなく、薄々感じていたことをカウンセラーと「ですよね」と再確認したというだけの話なのだが、やはり母は手強い。
批判家の声はだんだん小さくなってきているようには思うし、楽になってきた。私が悪い子だったのではなく、親がおかしかったんだなあと思うようになった。
それでも、母に対しては「ほぼマインドコントロール状態(by EMDRセラピスト)」なので、沁みついたものを無くすにはまだまだ時間がかかるのだろう。

どうしても「お母さんは正しいし私を育ててくれたのに、こんな風に悪者にして治療とかカウンセリングとか受けていいんだろうか」という考えが残っている。この考えが前面にバーンと出るのではなく、底の方に薄い紙きれがペターっと貼り付いて剥がれないという感じだ。

たぶん、もっと回復が進んだら、この貼り付いた薄い紙きれは、いつの間にか剥がれてどこかにいってしまうのだろうと思う。
私に出来るのは「ああ、また紙切れの文字が目に入ってくるわー」と気づくことかなと思っている。私の心からの思いじゃない。これも「自分がいかに正しいか」を日頃から説いていた母の言葉なのだと思う。

次回は年明け。
そろそろ月一回にしてみようかと思う。






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