見出し画像

カウンセリング/26回目

自分のインナーチャイルドとの対話

先週は風邪を引いてしまい、日々を過ごすのでいっぱいいっぱいだった。インナーチャイルドには「もうこんな感じで具合悪いから、回復したらたくさん話したりしようね、ちょっと待っててね」と言っておいた。

こういうのを「バカじゃないの」と鼻で笑う私はもういない。これは、今の自分にとってとても大事なことだ。それに、実際に脳の中にいるのだ。小さい頃のまま取り残されている私が。

EMDR治療で実感したように、自分自身に「どう思う?」と聞くこと、そして自分の中に出てくるものをただ「そうなんだね」と受け止めること。これをじっくりやり始めている。

何かについて感情が揺れて混乱したり、困ったりということは特に起こっていない。凪に近い状態になっていて、私はそんな自分のことを観察し続けている。


自分の写真が嫌い

先日とあるパーティーに参加した。とても楽しく、旧交を温めていろんな方と話をして、いい時間を過ごした(そんな中でも、分かってほしい自分や恥ずかしい自分に対する内観はしていた)。
写真好きな参加者数人が撮影をしてくれて、後日参加者全員へ写真のデータを共有してくれた。

このパーティーの時に内観した話をカウンセラーにしていて気づいたのだが、私は自分の写真を見るのが嫌いだ。いつもがっかりしてしまうのだ。
これまでは自分の写真写りが悪いからだと思ってきた(確かに悪いは悪い)。
でも結局は「自分は恥ずかしい」「こんなんじゃダメ」と思っているんだなと気づいた。

何と書けばいいのか難しいのだけど、「思ったような姿が写っていなくてガッカリ、ダメだ」となるのだ。だからといって、別にモデルみたいなすごい自分がいるとは思っていない。自分のことを「この写りではおかしい」「こんな私の姿をみんなに見られるのか」と思ったりしている。
結局「満足するような自分」はいない。「(存在しない)満足するような自分になれていないことに対するダメ出し」をすることが目的なのだと思う。

楽しい場面だったな、とかいい思い出だったな、と思いながら写真を見ていない。自分へのダメ出しのため、恥ずかしいと思うために見てきた。


母からのダメ出しと父の価値観

思えば、どこでこんな風になったんだっけ?というのを思い返してみたら、やはり母の言葉だったのだろうと思った。

母は私を「元はいいのに自分で台無しにしている」として、いろいろと指摘してきた。肌が汚い、色が黒い、毛深いなどなど。そして必ず「母が同じ年齢の頃は~(肌が綺麗だった、色が白かったなど)」という話で終わる。

今になって思い出してみると、子どもにそんなこと言うか?ということばかりだったように思う。本当にそうだったのかもしれないが、言い方とか言ってはいけないことというものがあるだろう。

EMDR治療の際も指摘されたように、それまでに機能不全な家族や親によってぺしゃんこになり自己否定の塊だった私には、それがすんなりと中に入ってきて沁みつき、地層のようになってしまった。いつでも自分のダメなところを探してしまい、写真を見ると恥ずかしくなってしまう私の出来上がりだ。

母も父からいろいろと言われていたのを思い出した。
そもそも父が外見をあれこれ言う人だった。母にそばかすがあるとかセンスがないとかダメ出しをよくしていた。家庭が一番荒れていた頃の母の写真を見ると、母の化粧が異様に濃かった。母は父からされていたことをそのまま私にやっていたのだろう。

結局、父と母は未熟だったということだ。以上。
ああ言われた、こうされた、ということをいつまでも言っていても仕方ない。今の自分やインナーチャイルドの傷つきのルーツがわかったのだから、それでよし。
あとはその時の気持ちを自分との対話でちゃんと受け止めて、癒していくことに力を向けたらいい。

当時、言えるのならお母さんにどう言いたかったですか?とカウンセラーに聞かれた。
私は、ダメ出しではなくて「そのままでいいよ」と母に言って欲しかった。もしも肌が荒れているのなら、どうしたらいいか一緒に考えようかと言って欲しかったし、ましてや少女時代の母と比べて欲しくなんてなかった。意味がないし。

「そんなことは言わないでよ、嫌な気分になるから。二度と言わないで。」こう言いたかった。
言いたかったね、嫌だったんだよね。当然だよ。そのままを認めて欲しい年齢なのに、いつも否定されてきたんだもの。

この気持ちを受け止めてインナーチャイルドが満足したら、次は一緒に私の写真を見てみようと思う。自分の写りをダメ出しするのではなく、撮影した時の場面や気持ちを思い出しながら見てみたい。


気づいたことでスッキリした

この写真の件は、気づいてみたらずっと気になっていたことのように思えた。カウンセリング中に気づけてよかった。とてもスッキリした。
「もう無いかな」と思っていても、案外心残りのようなものがあるものなのだなと思った。別に徹底的に掃除しなくてもいいとは思うのだけど、とにかくよかったと思う。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?