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EMDR/15回目

記憶の中の自分を恥ずかしく思わなくなった

前回のセッションで自分を恥ずかしいと責めていた記憶を処理した結果、今その記憶を思い出しても全く恥ずかしいと思わなくなった。驚きである。

この2週間は、子どもの私がおソノさんに母に書いた手紙を見せて受け止めてもらい、そのまま自分の気持ちも正直に話してそれも受け止めてもらうというイメージを思い浮かべることを続けてきた。最初の頃は「ああ、私は母にこうして欲しかったんだ」と大泣きした。今は子どもの私に「本当によかったねえ、思ったことを言えたねえ」と心から思い、満たされて安心するような感覚になっている。

この2週間で、現実に私が恥ずかしいと思うような出来事は起きなかったので今現在の恥の感覚がどんな感じかはわからない。いや待てよ。前までは恥ずかしいと思っていたような出来事や自分の言動を恥ずかしく思わなくなったので、「そういう出来事は起きなかった」と思っている可能性もあるな。まあいいか。

恥の感覚がどうなっていくのか、今どんな感じかはそのうちじわじわ分かってくるのかもしれないし、無くなってしまったのでよくわからないままなのかもしれない。それでいい。


親に拘っていると回復に進めない

私はずっと疑問に思っていることがあったので、セラピストに訊いてみた。
それは、私はイメージでおソノさんや大人の私に私が子どもの頃にして欲しかったことをしてもらって癒されているけど、これを本当の親のイメージでやる場合もあるのか?ということだ。ちなみに私は絶対に無理だ。親は天上の世界で親の修行をしてもらって、私は私でおソノさんや大人の私に癒してもらうのがとても気に入っている。

セラピストによれば「親がイメージの中で変わってくれたり癒してくれるということはほぼ無いです。あと、親に変わって欲しいとか癒して欲しいというように親に拘っていると、回復になかなか進めないんです。親は親でもういいや、私は私で生きるんだという風になっていかないと」とのことだった。なるほど。

そして、おソノさんや大人の私が癒してくれるイメージは、ホログラフィートークというものですと説明された。あ、最初の理解で合っていたのか。その部分はやっぱりホログラフィートークだった。自我状態療法も使っている気がするのだけど、それはどの部分なのだろうか。いろいろな療法があって面白い。


EMDR無し、アセスメントのみの濃い2時間

初回のアセスメントの際に私が書いた「処理したい辛い記憶」のリストも、残り1つとなった。11歳ぐらいの時、両親の夫婦喧嘩中に父から言われた言葉についての記憶だ。今回はこの記憶を処理するはずだった。

処理前のアセスメントで、父とのことを話していくうちにリストには載せなかった記憶がポロポロ出てきた。過去に受けていたカウンセリングではカウンセラーに話した事があるが、記憶を処理してもらう程ではないかなと思っていたものもある。

それから、もともと話はしていたが、改めて強迫性障害の話にもなった。中学2年の時に、父に対する嫌悪感で始まったのを覚えている。セラピストには「ここから強迫性障害の治療をしていきましょう」と言われた。父に関する記憶を処理していくと、治っていくはずとのこと。奇しくもSEと同じタイミングになった。

今回出てきた記憶はセラピストも記録していたけど、私も忘れないように書いておく。

  • 小学1年ぐらいの時に、父と弟と凧揚げをしていて、父が私に凧のひもを一度も握らせてくれず無視して弟だけと遊んでいたこと(父の気持ちは本気で謎である)

  • 小学3年ぐらいの時に、近所の人たちと集まるバーベキューの時に、人付き合いが好きじゃない父が「行かない」と言い出し、私はなぜか父を気遣って一緒に残り、父からも母からも不機嫌になって怒られたこと

  • 小学校高学年ぐらいから高校生になるぐらいまで、月数回帰ってくる父が私の成績や生活態度の悪さや母に反抗的なことを母から聞き、私のことを毎回2時間ぐらい泣くまで怒っていたこと

それから、これは辛い記憶という訳ではないが、大学生あたりからはほぼ家に帰ってこない父と時々渋谷あたりで待ち合わせて、2人で外食をしていた。楽しくも何ともなかったのだけど、楽しそうに当たり障りのない会話をしていたことを覚えている。そして、父と別れて私だけ家に帰る(父はおそらく愛人の家に帰っていたはず)。今思うと気持ちが悪くて不自然だ。


父のことをかわいそうだと思い、罪悪感を持っている

喧嘩の時に母と弟と一緒にいるのではなく父に付いて行くようにしていたり、上に書いたバーベキューの時に父に気を遣って行かないことにしたり(実際はバーベキューに参加したくてたまらなかったのがダダ漏れだったので、父は不機嫌になり母からは「意味不明」と怒られた)、小さな頃から私は全くそうしたくもないのに父の側に付くことが多かった。自分でも自分がよくわからなかった。父には反抗はするのに、冷たくはできないのだ。

母が小さなころから父の愚痴や悪口を私に話してきたし、喧嘩の内容からも父のやっていることが薄々わかっていたのだけど、それでも父が悪くてひどいとは全く思えなかった。

私は小さなころからずっと、父のことを「かわいそう」だと思っている。そもそもお金と女にだらしがなく、モラハラ気味でいつも不機嫌だった父のことをなぜかわいそうだと思うのか。これって、父の像を私の内面に取り込んでいて、その視点から見ているということなのかもしれない。

父がかわいそうに見えたのは、一人ぼっちに見えたのと、母の剣幕や不安定さが凄まじかったので、母から一方的に責め立てられているように見えたというのもある。実際は父が悪いので母が怒っていたのだし(母の怒り方もどうかと思うが)、父も毎回喧嘩の途中からは母に負けないぐらいの怒鳴り声で応酬していたのだけど。

今回ハッとしたのは「お父さんに罪悪感を植え付けられているのでは」とセラピストに指摘されたことだった。もちろん父もわざとではない。
過去のセッションでも話に出たように、私は家族の中で「スケープゴート」の役割だったこと。「お前のせいでお父さんとお母さんは喧嘩をする」と日常的に言われてきたこと。「自分は悪い子」だとずっと思ってきて、自己否定や恥の感覚が強かったこと。この辺りが前提になっている。

そして、父にガッツリ怒られる時などに「疲れてたまに帰ってきたらいつもお前が悪いことをしていて怒らないといけない」とよく言われていたことも、父に罪悪感を持つきっかけになっていたと思う。セラピストの言うように、父が私に植え付けてきたのだろうか。よくわからない。

上に書いた、大学生になってから父と2人で食事に行っていた時も(その後社会人になってからも飲みに行くなどしていた)、当時の私は「罪滅ぼしができた」と思っていた。罪滅ぼし?何の?と自分にびっくりするが、「自分はずっと悪い子だったので、そうじゃないところを父に見せることができた」という気持ちだった。そして、父がしてきたことや私が辛かったことなどは、一切無かったことにしていた。一切話さない。自分の気持ちなど、もちろん話したことも無いし父も聞いてこない。今思うと親子揃って歪んでいる。

ちなみにこの件を「お父さんのこと好きなんだよね、お父さんもルルちゃんのことを愛してるんだよね、愛があるよね」とかで片付けても何の意味も無い。愛なんかで片付けられる訳がない。愛とは別に、当時の私の感情を解放しないことには回復に進めないのだから。そういうもので抑え込んで無かったことにしてきた結果が今の私だ。


父に対する嫌悪感はバリバリある

父に対する怒りや悲しみはほぼ感じられないのだが、嫌悪感はものすごくある。あのネチネチとした怒り方がとても嫌だった。私の部屋の入り口に座り込み、私が逃げられないようにしてから何時間も怒る。私も反抗的な受け答えをするので、そのうち怒鳴りだす。そして私が泣いて疲れて目がパンパンに腫れ、父も飽きたのか疲れたのかという時間になった頃、ようやく終わる。翌朝は何事も無く学校へ行っていた。時々しおらしく「ごめんなさい」と最初から認めて謝ったりもしたことがあるが、結局ネチネチと「何がごめんなさいなんだ」等と言われて同じように怒られたので、私の態度はあまり関係無かったのかもしれない。

スケープゴートと同じで、私への八つ当たりや「怒りたいから怒っているだけ」というようにも思えるし、こうやって母の告げ口で私を怒ることで、父親や夫の役割を果たしている感覚になっていたのかもしれないとセラピストと話していて思った。

そして私は家族の中で「何を言ってもいい相手」という役割も負っていたのではないか、とセラピストに言われた。思えば父が弟にこういう怒り方をしていたのを見たことがない。弟はいい子だからというのもあったかもしれないが、思い返せばそれなりに弟もやらかしていたし、勉強態度が父の満足いくようなものであったとは思えない。私だったからなのだと思う。そして、普通はこういう怒り方はしないと思う。少なくとも私は自分の子どもにはしない。

父は過干渉でコントロールをしたがった。私の外見(髪型がだらしない等とよく言われた)も、成績も、満足いくものにさせたがった。父がほとんど家に帰ってこなかったのは、私にとって幸運だったのだと思う。

こういう大きな嫌悪感と、父に対する罪悪感の間で葛藤してきた。この辺りが、私の強迫性障害の鍵になっているのではないかと思う。


健忘障壁が私にもあるのか

それにしても父にいろいろとひどいことをされたのに、私の感じているのは罪悪感がまずあって、次に嫌悪感だ。怒りや悲しみなどは無い。いろんな出来事を見てきたのに、父は母や私や弟にひどいことをしたのだという実感が全く湧かない。いったい何なんだ。

セラピストには「解離の可能性がある」と言われた。私の中に健忘障壁があり、その後ろにいろんな感情を隠して無かったことにしているのかもしれない、と。「父が悪いと思えないしかわいそう」と思っているのは、私のフロントパートなのではないかと言われた。お、自我状態療法?

こういったいろんなことを「無かったこと」にして、自分が悪いのだと自己否定を続けながら何事もないフリをして日常を送ってきた。でも、どこかで必ず無理がくる。それが私の反抗的な態度だったり、理由もなくグズったり、弟に意地悪をしたりというので現れる。身体にも、チックや腹痛や起立性調節障害やバセドウ病で出てきたのではないか。

や、ややこしい…父に対してこんなにややこしいことになっていたとは。
セラピストが言うには「お父さんとのことの方が入り組んでいますね。お母さんはある意味わかりやすい人ではあるので、最初のうちに片付けられたのでしょう」とのこと。そうか…。

今回のアセスメントでだいぶ記憶も出てきたので、次回からは一つずつ片付けていきましょう、と言われた。健忘障壁の向こう側の感情も出てくるのだろう。少し怖いが、やってやろうじゃないの。子どもの私がまだ辛い気持ちでいるのだから、私が助けたい。


最後の最後で話した記憶

セッション終盤になり、頭に浮かんできた記憶があった。父だけではなく母も関係している記憶で、5歳の時のものだ。性被害とか性暴力ということではないが、どちらかと言えばそちら側に属する種類のキツい記憶だ。自己否定や自分を穢れていると感じるようになったきっかけだと思う。無かったことにしたいし、できれば扱いたくもないので、おそらくトラウマ的には重要なものだけど見ないフリをしてきた。記憶の内容はここには書きたくない。

過去のカウンセリングではカウンセラーが女性だったので少し話したこともあるが、ここでのセラピストは男性なので絶対に話すことは無いだろうと思っていた。でも、流れで「絶対に必要だ」と直感的に思ったのと、セラピストのことを男女関係無く信頼できるようになっていたせいか、話すことができた。胸の奥の重い石を取り出せたような感覚だった。

セラピストは記憶の内容自体には驚きもせず「トラウマを抱えた人にはそういう出来事がよくあります」と平気な顔をしていたので、ものすごく救われた。こちらも(動揺はしているが)おかげで平気な顔をすることができる。

そして「これかもしれないですね…!いろいろなことのきっかけになる重要な記憶ではないかと思います。治療の最後の最後の段階になって、重要な記憶を思い出したり話したりすることは結構あるんです。よく話してくれましたね。しんどかったでしょう」と言われた。確かに、本当によく話したなと思う。でも流れから必然だったようにも思える。後悔は無いし、ホッとしている。

次回は父に関することに取り組むが、まずはこの最後に話した記憶から処理をしていくことになった。話したままを抱えて帰るのは良くないので、この記憶やそれに伴う感情は大きな箱に入れて地下倉庫にしまっておく。


まだまだ終わらない

いろいろと片付いてきたからこそ、こうやって記憶が出てきて取り組めるようになったのかもしれない。私は本当によく頑張っている。

次回からかなりきついかもしれないけど、覚悟を持ってやっていこうと思う。私なら、あのセラピストとのセッションなら大丈夫だと思っている。
また2週間後。







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