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カウンセリング/19回目

前回からの振り返りと報告

・前回のアドバイスを受けて、自分のインナーチャイルドと対話してみたところ、うまくいっていること。
・自分の意識の中の捉え方について気づいたこと。


インナーチャイルドと対話して生活してみた

前回のカウンセリングで、ドライヤーの時に苛立ちというか怒りが湧いてくるという話と、途中でだらけてしまう割に完璧主義で家事に時間がかかる話をした。その時にアドバイスしてもらったように、インナーチャイルドの気持ちを受け止めつつ対話をしてみた。

結果は効果抜群だった。
ドライヤーの時は、ちゃんと怒りを受け止めて「髪を乾かすのは大人の私がやること」と思うようにしたら、怒りは消えていくようになった。
家事は22時までにしたら、すごく集中してできるようになった。ダラダラしたくなっても「22時になったら好きなことやろう、それまでは大人の私が家事を片付ける」と思うと、気持ちが落ち着いた。

自分でも驚いているが、カウンセラーにも「うまく対話して対応できましたね」と言われた。
何となく、インナーチャイルドとの対話(自分自身の感情の受け止め方)が分かってきたような感じがする。


自分の奥の意識が見えた

最近、昔の職場の同僚と話していて改めて気が付いたことがある。
私はとにかく、必要とされたいし認めて欲しい。価値があると思われたい。この辺の自分の意識は分かっていたのだけど、胸の奥から突き上げるような感じで「一番すごいと認めてくれないとイヤだ!」「とにかく必要とされたい!そうじゃなかったらもういい!」というような子どもっぽい感情が噴き出してくる。冷静に考えたら、評価はしてもらえていたし、必要ともされていた。それなのに「まだまだ足りない」と思ってしまい、胸が焼けるような感覚になる。これは子どもの頃に経験した感覚だ。母が周りの誰かと私を比べた時に同じような気持ちになったのを覚えている。

これまでに棚卸した過去の記憶をもう一度見直したり、書き出してみた。
私は子どもの頃からつい数年前まで、ずっと嫌だったり傷ついたりした出来事について、最終的には「自分がダメだからだ、自分はダメなんだ、恥ずかしい人間だ」というところに必ず着地させてきたことに気づいた。
とにかくダメ、恥ずかしい。自分がこういう人間だからだ、と。

そして、私は恥ずかしい人間なので、周りの人たちに笑われているような感じがする。これは今も持っている。職場やママ友関係で、楽しく談笑したとしても、1人になってから「おかしな人だと笑われていないだろうか」とふと思う。思い悩むほどではないけれど、自分の言動がおかしいと思われていないだろうかと心もとなく感じる。私は恥ずかしい人間だから。

ここで自分の奥にある意識が見えて、これまでのことと繋がった。

自分は恥ずかしくてダメなんだという自己否定
→ みんなに笑われて馬鹿にされているような気がする
→ そうならないように自分を価値のある人間にして、みんなに認めてもらいたい、分かって欲しい、評価されたい、必要とされたい
→ そのためだったら相手を見下して自分が優位に立つことも構わない
→ そのためだったら自分以外の人間を価値あるものにして、自分の価値も一緒に引き上げてもらおうとする(夫や息子に対して)

不安だから安心したい、安心させてほしい
→ その場の空気や相手の感情を面倒見て、コントロールすることで安心しようとする
→ 価値のある人間になったら安心できるのではないかという思い込み
→ そのためだったら相手を見下して自分が優位に立つことも構わない
→ そのためだったら自分以外の人間を価値あるものにして、自分の価値も一緒に引き上げてもらおうとする(夫や息子に対して)

自分はダメだということも安心したいということも、結局は価値のある人間になったら解決するだろうという意識でいるのだった。
「価値のある人間」というのは、他者からの視点だ。いつもいつも他者の目を気にして、そこから安心を得たり自己否定を免れようとしたりしていたのだから、うまくいくはずがないし消耗する。これまでの人生、本当に疲れた。

自分に安心感を与えて、自己否定を止めることで抜け出せるだろう。時間はかかるだろうけど、気づいたのだから変えていくだけだ。


何がいったい恥ずかしいのか

カウンセラーと話を進めながら「そんなに恥ずかしいというのは、いったい何が恥ずかしいのか」ということを考えた。
例えば、職場の人やママ友と談笑した後に「何か恥ずかしいことをしていないだろうか、笑われていないだろうか」と思う時の「恥ずかしいこと」って何だろう?
よく考えたら何もしていない。では何が恥ずかしいのか?

自分の中で「これはこうあるべき」というような枠があって、その中に存在出来たら、恥ずかしくない人だしダメじゃないと思える。世間一般の普通の人は、その枠の中に入っていて人生をうまくやっている。私は家庭が荒れていることも、自分がダメな人間で悪い子だということも隠さないといけないし、そういう人間はその枠の中には入れない。だから、何かをしたら枠の中に入れるとか、そういうことはない。もともと枠の中には入れない人間なのだから。恥ずかしい人間だから。

話していて、こんな感覚があることに気づいた。
カウンセラーに「ということは、恥ずかしいのは自分の言動ではなく、自分の存在ということですかね」と指摘されて、そうだ存在だと納得した。
自分に自信が無くて、価値が無いと思っているということだ。だから恥ずかしいし笑われているような感覚になる。

この感覚を無くすにはどうしたらいいんだろうか?
自分のインナーチャイルドに自信を持たせる。恥ずかしいことは無かったんだと、自分を納得させることも必要だ。過去の「ダメな人間だ、恥ずかしい人間だ」と思った出来事を振り返って「そうではなかった」と思い込みを解いていって「ではどうしたかったか、どうして欲しかったか」を自分に聞いていく。

これまでに怒りや嫌悪感などに対して取り組んできた方法で、恥ずかしさや自己否定についても振り返りが必要らしい。
長くかかる作業かもしれないけど、これまでにいろいろと昇華させてきたんだし、大丈夫だと思える。じっくりやっていくことにする。

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