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EMDR/1回目

記憶処理のターゲットを決める

初回カウンセリングから2週間後にEMDR治療を開始した。
前回のヒアリングの結果の振り返りと安全なイメージの確認を行った後、どの記憶をまずはターゲットにするかを話し合った。

初回カウンセリングで話したのだが、私は1歳半ぐらいの時に、ポップコーンを喉に詰まらせて死にかけたことがあったと母に聞いたことがある。もちろん、私にはその記憶は全く無い。

おやつに母とポップコーンを食べていて私が喉を詰まらせ、結婚前まで看護師をしていた母は冷静に対処したがなかなか取れず、いよいよ救急車を呼ばないといけないかもしれないと思い、そこでなぜか仕事をしている父に電話したらしい。「これから救急車を呼ぶかもしれないから、帰っても家にいないかも」と。そして最後の手段として、私を逆さ吊りにして背中を強く叩いたところ、ようやく詰まったポップコーンを吐き出して事なきを得たとのことだった。だいぶ手間取ってしまい、私は最後チアノーゼが出ていたと聞いた。

この記憶をターゲットにすることになった。言語を獲得する年齢より前の記憶のため、眼球運動での治療はしないとのことだった。EMDRの治療内容の詳細は書くのを控える。

記憶も無ければ当然感情も無いものをどうするんだ、そもそも何も覚えていないのだから、どういう処理が進もうともその自覚も持てないし…と思ったが、その出来事以降、小学6年生までポップコーンが嫌いだったのだから(それ以降は大好きになった)何かあるのだろう。


イメージの世界に入る

まずは、セラピストの誘導で自分の中に深く降りていく。たどり着いた先に誰かいるかと訊かれたが、入った途端にたくさんいた影のようなものが散り散りになって出て行った。そして、1人だけいた。5歳の私だった。前髪をピン止めで留めて、ターコイズブルーのワンピースを着ている。私を見て、椅子に座って足をバタつかせていた。

その子にポップコーンの記憶を覚えているか訊いてみたが「覚えてない、知らない」とのこと。
これから私の記憶を処理するところを、その子にも一緒に見てもらうことにした。怖がってもおらず「見てみたい」という感じだった。私はとても好奇心旺盛で深淵を覗きこみたがる性格なのだから当然だ。

記憶を語り、その時のことを覚えてはいないけどイメージする。
その記憶の肯定的な認知(「私はもう大丈夫だ」)と否定的な認知(「焦りと息苦しさ」)を決めて、それぞれにその大きさを数値で表す。記憶にないのではっきりとは決められなかったので、イメージに浮かぶ感覚に頼った。

治療を1セット行うごとに、浮かぶイメージを言葉にして、それぞれの認知の数値を答え、また次のセットを行う。その繰り返しを続けた。

イメージには、「早く早く助けて」と焦るような私の感覚や、小6で初めてポップコーンをおいしいと思い食べられるようになったこと、映画館のバターのかかったポップコーンやら、いろんなものが浮かんできた。

途中でセラピストと話していて、急に「何で母はこんな非常時に呑気に父に電話してんだ」という怒りが出てきたので、それを解放した。

それから「1歳児にポップコーンをあげるのは止めた方がいいのでは?」と気づき、イメージの中に私が入って、ポップコーンをあげる前の1歳半の私に、ポップコーンの代わりにベビーせんべいをあげた。これはとても幸福な気持ちになった。小さな私もおいしそうに食べていて、満足そうだった。2枚あげた。このイメージで安心して少し涙が出た。

母は当時26歳ぐらいだった。母はいつも私に「自分はすごい母親だ、立派な母親だ」と話してはいたが、母だって未熟な母親だったのだ。

何回もセットを繰り返すうち、記憶も自覚もないけれど、「生きててよかったなあ」という気持ちが前面に出てきた。そして、1歳半の私はとても愛おしかった。
ただし、何せ記憶が無いので、自分でもよくわからないままに終わった感じがある。

そして、また誘導されて元の場所に戻る。5歳の私とは少し話をして、次からはさっきの治療を一緒にやりたいんだけどと言うと「やってみたい」と言っていた。どこかに帰るのかと聞くと「ここにいたのでここに残る」とのこと。ずっとその場所にいたのか…。帰らないで欲しいような表情だったけど、私はここにいるわけにいかないので「また来るからね」と言っていったんお別れした。早くあの子に会いたいという気持ちがとても強い。

ちなみに、セラピストには「これまでにインナーチャイルドのイメージワークをやっていたせいか、イメージすることに慣れていますね」と言われた。
確かに合う合わないはありそうだ。私は夢も見やすいから、あまり抵抗がないのかも知れない。

治療後も脳の記憶の処理は進むため、しばらくは辛い感情に圧倒されたりすることがあるかもしれないが、そのたびに例の「安全なイメージ」でやり過ごすこと、どうしても辛くなったら電話してきてくださいと言われた。
それから、誘導で行った場所には、自分1人で行こうとしないこと、治療の時にだけ行くこと、というのも言われた。
そして、2週間後の予約を取って終了。また2時間があっという間だった。


治療後の変化

治療直後はボーっとしていたが、セラピストの働きかけで覚醒して、普通に電車で帰った。特に何ともなかった。
が、2~3時間経ってから、ほろ酔いのような感覚が出てきた。頭も足元もフワフワして、何となく現実感が薄い。しんどいわけではないけれど、不思議な感覚だった。

翌日になると、今度は瞼の奥が熱い感じと、眠気とだるさが出てきた。頭と足元のフワフワ感は続いている。以前頓服でもらった、抗不安薬を呑んだ後の感覚に似ていた。いくら寝ても眠い。
感情はますます振れ幅が大きくなった。不安や怒りを強く感じる。落ちてしまうととことん落ちて涙が出た。その時は感情を受け止めたり書き出したりしてから、安全なイメージに入ってやり過ごした。ついでにイメージの中でシャボン玉を吹いてみたらとても満ち足りた気持ちになった。
この感覚は数日間続き、今もまだ頭の中が軽くフワフワしている。

今日の時点で気づいたことで、一時的なものかもしれないのでわからないのだけど、喉が詰まる感じが少し軽くなったように思える。
いや、まだわからない。感覚には波があるので、また元に戻るかも知れない。とりあえず保留にしておく。

そして、治療から3日後の夜に夢を見た。
私はもともと鮮やかな夢をたくさん見るし、高校生ぐらいまで悪夢で飛び起きたりすることも多くあった。なので夢を見ることは珍しいことではないのだけど、印象的だったので書き留めておく。

私は女の人(たぶんテレビに出ている女子アナみたいな人)と中国に旅行に来ていた。路面電車に乗るところではぐれてしまい、全く知らない駅で降りた。女子アナにLINEで連絡すると「こっちはこっちのやることをやっておくから大丈夫、後で会おう」と返事が来た。

そこで男のガイドさんの案内で、1人でトロッコに乗って周囲をめぐるツアーに参加した。見たことの無い場所ばかりで楽しかったが、だんだん暗い場所にトロッコが入っていき、トンネルのようになった。「こんなところまで来てしまって大丈夫だろうか」と不安になるが、抜けると綺麗な海が見渡せる高台に出た。天気も良くて最高の景色だった。
「そろそろ戻りたいけど、ガイドさんもいるし大丈夫だな。あの女子アナも向こうでやることやって待っているだろう」と思ったところで目が覚めた。

そういえば、この治療の時に、以前父が自殺した夢を見たことを話したら「親殺しできてますね、いいですね」と言われた。ユングですねわかります。

次回からは私の覚えている記憶を処理することになるだろうから、もっといろいろと自覚できる感覚があると思う。怖いような楽しみなような。







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